2013年05月09日

もう1小節先を。

ピアノ初見やスコア・リーディングのときって、先に先に、見ることが基本。
だからといって、そのとき弾いている場所が、疎かになるわけじゃない。
大きな流れを踏まえたうえでの、音楽ができる。
初見じゃなくて、すでに練習した曲を弾くときも、基本は一緒だとおもう。
先をわかっていることは大事。
弾いてるところしか見えてないと、美しくない。

で、ここで「ピアノ初見法」なんてことを書きたい訳じゃない。
音楽じゃなくて、自分の行動を考えてた。
最近、先が見えてなくて、ただ、いまのことだけに精一杯になってたとおもう。
まな板の上の鯉のような、いまにも死にかけの状態にならないようにしないと、ね。

忙しいなかでも、もっと先を考えようと、心がけることにします。
わくわくはいっぱいあるのだけど、苦しかったのは、
いまのことに集中しようとするあまり、ほんの少し先さえ見ようとしていなかったからかも。
posted by whitedaydreams at 22:04| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月09日

近況報告

生きています。

…だって最近、「生きてる?」って友人からメールが来たのだもの。

お久しぶりのブログ。
何度か書こうと思ったのだけれど、タイミングを逃してしまって。

いままでで一番、大きなものを書いたことで、自分が少し、見えたような気がします。
そろそろ動き出さないといけないのだけど、まだ、ぼーっとしています(笑)

その大きなもの(笑)に書いたこと以外で、
最近思ったことを書き留めておく。

恵まれていることには素直に感謝すること。
本当に望んでることがあると、身体が先に動くこと。
実際の距離とは違う、人と人との距離感を大事にしたいこと。
時間は有限だけど、大事なことには、ゆっくり時間を使いたいこと。

そして、どこにいても通用する力を付けたいこと。

目の前のことに精一杯で、やってきたけれど、
最近は少し、長期的に考えられるようになりました。
…と言っても、何も決まっていないのだけど。

たぶん、最後の学生生活。
大事に過ごしたいと思う。
posted by whitedaydreams at 20:27| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月06日

dolce.

本当はお昼に一番大きくなる、スーパームーンを想いながら。
昨夜、ぜんぜん知らずに月を見て、綺麗でビックリしました。
どこの国だと、ちょうど見えるのかしら。

最近、「やさしくなりたい」と「おとなになりたい」とパッと思って。
それで、「やさしさ」ってなんだろう?と「おとな」ってなんだろう?って考えてた(笑)。
(意図的になんとなく、ひらがなです・笑)

確か、はじめにたまたま見たのは 「やさしさの意訳とは?」 というTogetterのまとめかな。日本語の日本語に依る意訳。割と様々。
そのあと、石井ゆかりさんの日記に、タイミングよく やさしさ。 という記事が更新されて、そこで引用されている ロシア人のタチアナさんのブログ記事 も見て。

誰かが卒業するとかのタイミングで「優しくしてくれてありがとう」みたいなことは、よく言われるけれど、自分のことを、やさしいとは思わない。自分のこと「弱いな」「欠けてるな」って感じるのは、ここでいう「積極的な優しさ」かな、と思った。あと一歩、踏み出す勇気が足りない。

それから「優れている」と一緒の漢字ということに、何だか、違和感を覚えるのは私だけかしら。
「易しさ」とは分けないといけないけど。

他の国の「やさしさ」はどうだろう?
dolce の意味、こどもには「やさしくね。デザートだよ、甘いんだよ。」って言ってるけど(笑)。
日本語の「優しい」には「甘い」という意味はなさそう。
ヨーロッパでも少しずつ違ったりするのかしら。
言葉の意味は各国の習慣と結びついているから、難しい。

弱ったら人はやさしくなると思う。
でも、強くても、やさしい人はいる。
たとえ、やさしさに涙しても、それでもきっと、やさしいほうがいい。

なんて思う、最近でした…。まぁ、いいかな、たまには。

あと「おとなになりたい」は…。
こどもの日も、もう終わったから…大人になれるかな(笑)。
posted by whitedaydreams at 11:43| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月14日

アンサンブル

自分が弾きながらも、必死に耳を澄ませる。
ほんの些細なサインも見逃さないように。

2人のアンサンブルは呼びかけと応答で成り立つ。
この場合、どちらが「呼びかけ」なのかは、さほど問題ではないように思う。
あと、比重が1対1じゃなきゃいけないわけでもない。
相手から1が来て、こちらは3で返すってことはある。

忘れちゃいけないのは、ゼロだと返しようがないということ。

相手の小さな変化を捉えると、それに反応する。
ない場合は、先にこちらから働きかけることもする。
だけど、こちらが働き変えても返答がない場合、私はゼロになる。
というか、ゼロになってしまう。

ソリストがアマチュアさんの場合、主導権が自分に向かないように、できるだけ、耳を凝らす。
これがけっこう忍耐力がいるんだ。

だけど、少しでも、なにか出して欲しい。
その人なりの輝きを。
妥協はしない。

私なりのこだわり。ゲーム。
そちらの方が、育てることになると信じてる。

伴奏も弾けるソロの先生がレッスンするときには、主導権を持ってしまっても良いと思う。
それでも、それに慣れてしまわないように。
カラオケの音源で練習することも、メトロノームで練習することも、
参考なら大いに役に立つ。
ただ、危険性を伴うということ。
そこには、押し返しがないからだ。

即興的なやり取りはきっと、人間が演奏することを意味と成す砦だと思う。
posted by whitedaydreams at 01:01| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月05日

新年の抱負的なこと考えようかな。

「かたち」と「なかみ」。
何においても、どちらも大切。
だけれど、今年は「なかみ」に重点を置きたい。

昨年は、とりあえず拡げた気がする。
やりたいことはたくさんあって、それを考えるとワクワクするけれど、考えているだけじゃダメ。
「かたち」にこだわりすぎて活動が頓挫すると勿体ない。
内容の、よりコアな部分を考えることで、ちゃんと「かたち」にしていきたい。
怠惰な道を選ぶのではなくて、自分の選んだ道で楽しみたい。


飛行機の中で、赤ちゃんを抱いたお母さんがいた。
お母さんの笑顔と赤ちゃんの笑顔が、周りに自然と伝わっているように見えた。
キャビン・アテンダントは笑顔の赤ちゃんに自然に答えていた。
それで、CAのお客さんに対する笑顔も、心なしか増したような…。

いつでも優しさを感じ、伝えられる人間でありたいと思う。
posted by whitedaydreams at 23:24| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月11日

瞬間。

魂の叫び、精神の訴え。命がけの演奏…

作曲家が紡ぎだした音楽は、書いた瞬間は「ここしかない!」という音が集まったものだと思う。
そうして、他の人には書けない個々の作曲家の作品が誕生する。
ここでいう「作品」は「=(イコール)楽譜」ではない。
作曲家によっては、出来上がったものを書き留めたメモ程度のものもある。
ピアニスト=コンポーザーの場合、演奏のタイミングまで「ここしかない!」と考えたことも有り得そうだけど、
書き手はそのすべてを楽譜に書き残すことは出来ない。

演奏家はまた、瞬間瞬間でタイミングや強弱を選び取る。
やはり「ここしかない!」というものを探り当てる。
まったく自由な範囲から選ぶのではなくて、ある音を出すその瞬間を切り取ると、
そのタイミング、その強弱でなければ成り立たないと私は思う。
何度も練習し思考しながらタイミングを決める人然り、その場その場で違う演奏する人然り。

それが成り立った時に、琴線に触れる感覚。
これをその場に立ち合った聴き手も分かち合えると鳥肌が立つ。
そんな瞬間。
一回性の出来事。

演奏するときは、ずっとその瞬間を求めてる。
どこかで何かを怠ったら、その瞬間には出会えない。

作曲家と演奏家の思い描くもののズレというのは多分にあると思う。
ピッタリ合わさるなんて幻想かも知れない。
微妙なズレを感じることで、演奏家は模索を続けるのかも。

でもその「ここしかない」タイミングが、ピッタリ重なる瞬間がある気がした。
今日はそんな日だった。
それは、完璧なテクニックがなし得る技ではなくて、
経験と精神力。そして、音楽を通して生きること。

出てきた音が全てではなくて、演奏家を通して音楽を想像すること。
聴き手も一緒に懸命に聴くことで、その瞬間が現れる。
瞬間をひとときも聞き逃したくないとと願うこと。

そのくらい懸命に聴いていただけるような演奏は、たまにしか出来ていないと思う。
まだまだ道の半ば、私はずっと目指したいと思う。
たとえ初見であっても、本気で弾くこと。精神力を鍛えること。

そして、聴くことも一所懸命に。
posted by whitedaydreams at 20:30| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月15日

小さな世界

浮世離れした研究者も、宇宙語を話す音楽家も、
自分の道をただひたすら進むことが許され、
平和に過ごすことのできる世界になりますように。

各々に政治観や社会的な立場、倫理観、知識などが問われ、
「わからない」が許されない世界は私にとっての理想じゃない。

音楽と他のことを切り離すことはできないし、
音楽家である前に一人の人間なんだけれど。

何かの知識が足りないからといって
困ったり、責められたり、しなくていいような。

実際には、何かの才能が突出していて、他のことにはまるで頓珍漢な人もいる。
そういう人の力も惹きだして、うまく活かせるように
…って理想は現実から離れすぎているのかな。
posted by whitedaydreams at 23:39| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月12日

思うこと。

しばらくブログを書いてなかった。
迷惑コメントを削除する作業のためだけにブログを持っているのも空しいので、最近思うことを書き留めておこう。

震災後、今までの普通の活動が一度とまり、リセットされた人が多いみたい。
ようやく、震災のことをそれほど考えなくなってきたけれど、やはり以前の生活とは何かが違うような気がする。
夜中に揺れたりするからってこともあるし。

どうしても考えてしまうのが、人間の進歩主義に対して自然が怒っているのではないかという漠然とした恐怖。
ジブリだったり、手塚治虫の漫画だったりを思い起こす。
自然が怒りだすとどうなるのか。
(純文学系もありそうだけど…SFとかしかパッと思いつかないな。。)

最近思い起こすのは、火の鳥の未来篇。
無論、原発と原爆を混同視するつもりはない。
けれど、未来篇に描かれた「戦争をして共倒れになって人類がいなくなっちゃった先の世界」なんてものを思い出すのは、
野菜とか動物とかに影響が出てて、身近な自然が、人間の手によって恩恵ではなくなってしまったからかも知れない。
動物たちも可哀想だ。魚さんは逃げてくれ。
このまま進むとどうなるんだろう…という怖さがある。

文学作品や映像作品などはそのようなことを人間の感情に訴える力がある。

私は「電力なんてなくても困らないだろう」とは言えない。
いま使ってるパソコンにだって、電気の安定供給のなかで使って作られた部品が入ってる。
電力の安定供給により、国力が維持されている。
東大が電力をたくさん使っているのは事実だけど、少なくとも原子力の研究はいまオワコンだし、
夜遅くまで人類の知的興味のために研究している人たち自体が悪いわけじゃない。
どこかに罪をなすりつけようとした体育会的な考え方は嫌い。
企業全体とか大学全体に責任を取らせるみたいな…。

専門家ではない私たちが考えることが可能なのは、
自然とは何か。人間とは何か。政治って何なのか。
何を大事にすべきかという、一言では解決できない問題ではないかな。
音楽家は、音楽で何をできるか?と考えているようだけど、そのまえに、まずは一人の人間として。
自然を感じさせる曲を演奏してみるだけでも考えさせられる。

私は、震災直後から数多く開かれている看板を変えただけの安易なチャリティー・コンサートには違和感を覚えている。
演奏家がいつも弾いているレパートリーを
「今年は気持ちを込めて弾きます!」というチャリティー・コンサートが、私にはよくわからない。

私がわからないだけではなく、あまり良い印象を与えてはいない。
いくつか「チャリティー・コンサートなら行かない」っていう意見を目にした。

いつもと何が違うの?
何のために弾いてるの?
演奏への対価が払いたいんだけど。。

もちろん、名の知れた海外の音楽家がわざわざ日本に来て演奏してくれたら、その活動をテレビで見ただけでも心救われる人がいるし、
逆に、日本人で海外にいる人が海外でコンサートしたら、「日本人頑張ってるから日本を助けてね」っていうメッセージになる。

でも、日本人がいつも通り日本でするコンサートに、チャリティーってくっつけるのは、
ただの人気取りか自己満だと感じてしまう。
「演奏が聴けて寄付も出来るなんてお得ね」って思ってる人にはいいけど。

演奏家が、演奏会してもらったお金を寄付しようが、へそくりを寄付しようが、同じお金。
結局、お金の力で助けてるってこと。で、それは汚いことでも何でもなくて尊いこと。
最近、チャリティーが多すぎる。
普通にコンサートして、あとでひっそり寄付した方がよっぽど良いんじゃないかと思うんだけどな。
とっても純粋に音楽に向かっている人たちには失礼かもしれないし、企画側が勝手にしちゃうんじゃしょうがないから、
聴きたいコンサートがあれば構わず行くつもりではあるけれど。

それから…ずっと話題になってる小出さん。
私は基本的には脱原発なんだけどなぁ…。

一見わかりやすく話しているようには見えるけど、彼に対しては、はじめて見たとき何か違和感を覚えた。
まぁ助教なのに准教授って勘違いしている人がいるのは置いといて、ちょっと調べてみると査読論文が少なく、
少なくとも研究業績のしっかりした人ではないみたい。
そのようなことを書いているサイトには、反原発の人がわんさか来て、管理人がいい加減うんざりみたいだからリンクは控える。

研究者として確立できなかったのは権力に潰されたからだとか言われているけれど、
そんな権力に潰されるような学会しかないのだったら、その分野が終わってる。研究ってそんなものじゃないでしょ。
思想と関係なく中立であるべきものだよね。
(てんで学会発表とかしてない人が偉そうに言えることじゃないけど)

本当に反原発思想で、原子力の専門家で、ちゃんと研究している人が昔、日本にもいたみたい。
肩書きなんてなんでも構わないけど、研究の妥当性がないと判断材料にならない。
査読論文を出してないということは、他人の目が入っていないということだから、その独自研究(?)を鵜呑みにすることはできない。
思想は反原発で、ちゃんと研究してる人がいたらいいのにな、と思う。

理系の人たちは、はじめから絶対安全だなんて思ってなかった。
ただ、電力は人々の安全のためにも使われてる。
昔は電力なくても生きていたかもしれないけど、現状そうなんだから仕方ない。

こういうこと書くと変なコメントが付いちゃうのかな…名の無い個人のブログはほっといてね…(笑

後出しで情報公開する政府は信用ならないから、私はちょっとでも危ないものは食べてない。
さすがに水は買わなくなったけど、それは私の判断だ。

少しでもちゃんと情報公開して、危なくない形で、新エネルギーの開発を進めて欲しいと思う。
反原発でも脱原発でも原発推進でも中立でも、もともと活動家の人は別にして、扇動者に流されて思考停止に陥らないで欲しいな。
ネットに慣れてない人がネットで情報収集すると、あることないことかき集めてしまう。
自分だけはネトウヨじゃないと思っていても、ネトウヨと同じことをしてしまう。

それから、自分と考えの違う人に対する人格否定は、人間として見識を疑う。

私の人生が終わったあとかもしれないけれど、様々な研究者が言ったことの何が正しかったのか、実証される日が必ず来る。
それじゃ遅いかもしれないけど。
(わぁ、長くなった…)
posted by whitedaydreams at 19:39| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月10日

感性…

ちゃんとまとめて書こうと思ったけれど、疲れてるからとりあえず忘れないように書き留める。

日常生活で笑い、怒り、楽しみ、悲しむ。
自然と触れ合い、葉っぱの手触りを覚え、水が冷たいことを知る。
そういった経験と、
和音の響き、音色、楽器の手触り。
音楽に関わる様々な要素はきっと、各々の人のなかで、日常の様々な経験と結びつく。

感性を育てるって難しいけれど、たとえ微力でも、そういった結びつきを支えることができたらいいな、と思っていた。

さて、
水が怖い。魚が怖い。雨が怖い。野菜が怖い。
といういまの状況。

いくら安全だと言われても、これからを生きる子どもたちの親御さんが心配なのは当たり前。
少しでも悪影響のある可能性のあるものを子どもの口に入れたくないと考えるだろう。

小さい頃、私は浄水場に見学に行ったのを覚えている。
自分の口に入る水が、長い旅をしてきたものであることに、驚き感動した。
水車を見に行ったときには、循環する水の流れを人間が利用していて、
人間が自然と一緒に生きていることを感じた。
透き通った川の水はきれいだけど、水道水を見ているのもそれなりに好きだった。
水は綺麗なものだと思ってた。

大げさかも知れないけれど、
これで、水に対する感覚が変わる。
美しいとされたものが美しくなくなる。
水が循環することが怖くなる。

太陽をさんさんと浴びるために手を拡げた野菜が可哀想になる。
自由に泳ぎ回る魚は、どうか逃げて欲しい。


考え過ぎかも知れないけれど、
水と関連するイメージを持つ曲の綺麗さを、
これからの子どもたちに伝えるのが難しくなるかも知れない。

自然への畏怖を歌った曲とは全く違うおそろしさ。

果たして、これまで通り演奏し、教育することができるのか?
と考えると涙が出そうになる。


そしてこれは、いまに始まったことではない。
色々なものに対する感覚は、普遍的ではなくて、人間が変えていく。
良い方にも悪い方にも。
posted by whitedaydreams at 00:48| 東京 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月29日

大切なものは目に見えない?

「これだけたくさんの音大がなぜあるの?必要なくない?」
って意見には賛同できない。

なぜなら、たしかに早期教育が活きる分野ではあるけれど、
大学に入ってから、ぐーんと伸びる人も稀にいると思う。
それから、どこの音大にいたって、本気で音楽に取り組んでいる人はいると思うし、
審査する先生方の審査基準と合致しない美的感覚を持ち合わせた人もいるであろう。

ただ、先生方が呆れてしまうのは、モチベーションの低い学生かな。
楽器を操る技術が足りないのなら、教えることができる。
音感もきっと、鍛えることができる。
ただ「音楽がしたい」って気持ちがない人には、
どう教えたら良いのかわからないのが事実だろう。

そういった生徒を持つ教師に求められるのは、
まず、音楽の魅力を伝えることじゃないか、と思う。
なにかのきっかけで突然やる気になるかもしれない。
忍耐が必要で、教師が頑張ったって無理なこともあるだろうけれど。
魅力を伝えるのは本当はきっと楽しいこと。

私は、音大生とアマチュア楽器弾きのあいだに線を引く必要性は
もはやあまりないような気がする。
「親の金つかって音楽の勉強してるんだろ!」って言うけれど、
「がんばりゃ金になる」世界でもないし。
「勉強もできないし、とりあえずいままでお金かけてきた音楽で大学に」
って人がいるのも事実。

教師がいかにモチベーションを保っていけるか。

私は、自分が少しでも教えた人たちが、
プロとして働かなくても、演奏活動ができなくても、
少しでも音楽に関わるコミュニティ全体を支える力になればいいのでは?と思ってる。

実際、聴衆のなかには、少しでも演奏のできる人が多い。
(弾かない人もいて、それはとても有り難いことなんだけど!)
そういう「弾ける」人たちが音楽に関わるコミュニティの力になっている。
そういった人たちに、ほんとうの音楽の魅力の切れ端でも、
少しでも伝えることができれば!
たとえ弾く力がそれほど伸びなくても、聴く力が育ち、
聴衆としてこれからの音楽を支える大きな力になるのではないかと思う。
(ひょっとすると、「書く」方とかまた全然思いもしない方向に行く人もいるかも。)

アマチュアの音楽家と触れ合うときにも一緒。
本当の音楽をなるべく伝えたい。
「演奏が人前でできればアマチュアの人は楽しいんだから」とか言って、
専門の人とは違うと線を引くの、私は嫌い。

いつでも本当の音楽を伝える努力を厭わないようにしたい。
当たり前だけど、音楽は「つくる」側だけのものではない。続きを読む
posted by whitedaydreams at 23:26| 東京 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。