2011年08月12日

思うこと。

しばらくブログを書いてなかった。
迷惑コメントを削除する作業のためだけにブログを持っているのも空しいので、最近思うことを書き留めておこう。

震災後、今までの普通の活動が一度とまり、リセットされた人が多いみたい。
ようやく、震災のことをそれほど考えなくなってきたけれど、やはり以前の生活とは何かが違うような気がする。
夜中に揺れたりするからってこともあるし。

どうしても考えてしまうのが、人間の進歩主義に対して自然が怒っているのではないかという漠然とした恐怖。
ジブリだったり、手塚治虫の漫画だったりを思い起こす。
自然が怒りだすとどうなるのか。
(純文学系もありそうだけど…SFとかしかパッと思いつかないな。。)

最近思い起こすのは、火の鳥の未来篇。
無論、原発と原爆を混同視するつもりはない。
けれど、未来篇に描かれた「戦争をして共倒れになって人類がいなくなっちゃった先の世界」なんてものを思い出すのは、
野菜とか動物とかに影響が出てて、身近な自然が、人間の手によって恩恵ではなくなってしまったからかも知れない。
動物たちも可哀想だ。魚さんは逃げてくれ。
このまま進むとどうなるんだろう…という怖さがある。

文学作品や映像作品などはそのようなことを人間の感情に訴える力がある。

私は「電力なんてなくても困らないだろう」とは言えない。
いま使ってるパソコンにだって、電気の安定供給のなかで使って作られた部品が入ってる。
電力の安定供給により、国力が維持されている。
東大が電力をたくさん使っているのは事実だけど、少なくとも原子力の研究はいまオワコンだし、
夜遅くまで人類の知的興味のために研究している人たち自体が悪いわけじゃない。
どこかに罪をなすりつけようとした体育会的な考え方は嫌い。
企業全体とか大学全体に責任を取らせるみたいな…。

専門家ではない私たちが考えることが可能なのは、
自然とは何か。人間とは何か。政治って何なのか。
何を大事にすべきかという、一言では解決できない問題ではないかな。
音楽家は、音楽で何をできるか?と考えているようだけど、そのまえに、まずは一人の人間として。
自然を感じさせる曲を演奏してみるだけでも考えさせられる。

私は、震災直後から数多く開かれている看板を変えただけの安易なチャリティー・コンサートには違和感を覚えている。
演奏家がいつも弾いているレパートリーを
「今年は気持ちを込めて弾きます!」というチャリティー・コンサートが、私にはよくわからない。

私がわからないだけではなく、あまり良い印象を与えてはいない。
いくつか「チャリティー・コンサートなら行かない」っていう意見を目にした。

いつもと何が違うの?
何のために弾いてるの?
演奏への対価が払いたいんだけど。。

もちろん、名の知れた海外の音楽家がわざわざ日本に来て演奏してくれたら、その活動をテレビで見ただけでも心救われる人がいるし、
逆に、日本人で海外にいる人が海外でコンサートしたら、「日本人頑張ってるから日本を助けてね」っていうメッセージになる。

でも、日本人がいつも通り日本でするコンサートに、チャリティーってくっつけるのは、
ただの人気取りか自己満だと感じてしまう。
「演奏が聴けて寄付も出来るなんてお得ね」って思ってる人にはいいけど。

演奏家が、演奏会してもらったお金を寄付しようが、へそくりを寄付しようが、同じお金。
結局、お金の力で助けてるってこと。で、それは汚いことでも何でもなくて尊いこと。
最近、チャリティーが多すぎる。
普通にコンサートして、あとでひっそり寄付した方がよっぽど良いんじゃないかと思うんだけどな。
とっても純粋に音楽に向かっている人たちには失礼かもしれないし、企画側が勝手にしちゃうんじゃしょうがないから、
聴きたいコンサートがあれば構わず行くつもりではあるけれど。

それから…ずっと話題になってる小出さん。
私は基本的には脱原発なんだけどなぁ…。

一見わかりやすく話しているようには見えるけど、彼に対しては、はじめて見たとき何か違和感を覚えた。
まぁ助教なのに准教授って勘違いしている人がいるのは置いといて、ちょっと調べてみると査読論文が少なく、
少なくとも研究業績のしっかりした人ではないみたい。
そのようなことを書いているサイトには、反原発の人がわんさか来て、管理人がいい加減うんざりみたいだからリンクは控える。

研究者として確立できなかったのは権力に潰されたからだとか言われているけれど、
そんな権力に潰されるような学会しかないのだったら、その分野が終わってる。研究ってそんなものじゃないでしょ。
思想と関係なく中立であるべきものだよね。
(てんで学会発表とかしてない人が偉そうに言えることじゃないけど)

本当に反原発思想で、原子力の専門家で、ちゃんと研究している人が昔、日本にもいたみたい。
肩書きなんてなんでも構わないけど、研究の妥当性がないと判断材料にならない。
査読論文を出してないということは、他人の目が入っていないということだから、その独自研究(?)を鵜呑みにすることはできない。
思想は反原発で、ちゃんと研究してる人がいたらいいのにな、と思う。

理系の人たちは、はじめから絶対安全だなんて思ってなかった。
ただ、電力は人々の安全のためにも使われてる。
昔は電力なくても生きていたかもしれないけど、現状そうなんだから仕方ない。

こういうこと書くと変なコメントが付いちゃうのかな…名の無い個人のブログはほっといてね…(笑

後出しで情報公開する政府は信用ならないから、私はちょっとでも危ないものは食べてない。
さすがに水は買わなくなったけど、それは私の判断だ。

少しでもちゃんと情報公開して、危なくない形で、新エネルギーの開発を進めて欲しいと思う。
反原発でも脱原発でも原発推進でも中立でも、もともと活動家の人は別にして、扇動者に流されて思考停止に陥らないで欲しいな。
ネットに慣れてない人がネットで情報収集すると、あることないことかき集めてしまう。
自分だけはネトウヨじゃないと思っていても、ネトウヨと同じことをしてしまう。

それから、自分と考えの違う人に対する人格否定は、人間として見識を疑う。

私の人生が終わったあとかもしれないけれど、様々な研究者が言ったことの何が正しかったのか、実証される日が必ず来る。
それじゃ遅いかもしれないけど。
(わぁ、長くなった…)
posted by whitedaydreams at 19:39| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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