2013年05月09日

もう1小節先を。

ピアノ初見やスコア・リーディングのときって、先に先に、見ることが基本。
だからといって、そのとき弾いている場所が、疎かになるわけじゃない。
大きな流れを踏まえたうえでの、音楽ができる。
初見じゃなくて、すでに練習した曲を弾くときも、基本は一緒だとおもう。
先をわかっていることは大事。
弾いてるところしか見えてないと、美しくない。

で、ここで「ピアノ初見法」なんてことを書きたい訳じゃない。
音楽じゃなくて、自分の行動を考えてた。
最近、先が見えてなくて、ただ、いまのことだけに精一杯になってたとおもう。
まな板の上の鯉のような、いまにも死にかけの状態にならないようにしないと、ね。

忙しいなかでも、もっと先を考えようと、心がけることにします。
わくわくはいっぱいあるのだけど、苦しかったのは、
いまのことに集中しようとするあまり、ほんの少し先さえ見ようとしていなかったからかも。
posted by whitedaydreams at 22:04| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月09日

近況報告

生きています。

…だって最近、「生きてる?」って友人からメールが来たのだもの。

お久しぶりのブログ。
何度か書こうと思ったのだけれど、タイミングを逃してしまって。

いままでで一番、大きなものを書いたことで、自分が少し、見えたような気がします。
そろそろ動き出さないといけないのだけど、まだ、ぼーっとしています(笑)

その大きなもの(笑)に書いたこと以外で、
最近思ったことを書き留めておく。

恵まれていることには素直に感謝すること。
本当に望んでることがあると、身体が先に動くこと。
実際の距離とは違う、人と人との距離感を大事にしたいこと。
時間は有限だけど、大事なことには、ゆっくり時間を使いたいこと。

そして、どこにいても通用する力を付けたいこと。

目の前のことに精一杯で、やってきたけれど、
最近は少し、長期的に考えられるようになりました。
…と言っても、何も決まっていないのだけど。

たぶん、最後の学生生活。
大事に過ごしたいと思う。
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2012年05月06日

dolce.

本当はお昼に一番大きくなる、スーパームーンを想いながら。
昨夜、ぜんぜん知らずに月を見て、綺麗でビックリしました。
どこの国だと、ちょうど見えるのかしら。

最近、「やさしくなりたい」と「おとなになりたい」とパッと思って。
それで、「やさしさ」ってなんだろう?と「おとな」ってなんだろう?って考えてた(笑)。
(意図的になんとなく、ひらがなです・笑)

確か、はじめにたまたま見たのは 「やさしさの意訳とは?」 というTogetterのまとめかな。日本語の日本語に依る意訳。割と様々。
そのあと、石井ゆかりさんの日記に、タイミングよく やさしさ。 という記事が更新されて、そこで引用されている ロシア人のタチアナさんのブログ記事 も見て。

誰かが卒業するとかのタイミングで「優しくしてくれてありがとう」みたいなことは、よく言われるけれど、自分のことを、やさしいとは思わない。自分のこと「弱いな」「欠けてるな」って感じるのは、ここでいう「積極的な優しさ」かな、と思った。あと一歩、踏み出す勇気が足りない。

それから「優れている」と一緒の漢字ということに、何だか、違和感を覚えるのは私だけかしら。
「易しさ」とは分けないといけないけど。

他の国の「やさしさ」はどうだろう?
dolce の意味、こどもには「やさしくね。デザートだよ、甘いんだよ。」って言ってるけど(笑)。
日本語の「優しい」には「甘い」という意味はなさそう。
ヨーロッパでも少しずつ違ったりするのかしら。
言葉の意味は各国の習慣と結びついているから、難しい。

弱ったら人はやさしくなると思う。
でも、強くても、やさしい人はいる。
たとえ、やさしさに涙しても、それでもきっと、やさしいほうがいい。

なんて思う、最近でした…。まぁ、いいかな、たまには。

あと「おとなになりたい」は…。
こどもの日も、もう終わったから…大人になれるかな(笑)。
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2012年02月14日

アンサンブル

自分が弾きながらも、必死に耳を澄ませる。
ほんの些細なサインも見逃さないように。

2人のアンサンブルは呼びかけと応答で成り立つ。
この場合、どちらが「呼びかけ」なのかは、さほど問題ではないように思う。
あと、比重が1対1じゃなきゃいけないわけでもない。
相手から1が来て、こちらは3で返すってことはある。

忘れちゃいけないのは、ゼロだと返しようがないということ。

相手の小さな変化を捉えると、それに反応する。
ない場合は、先にこちらから働きかけることもする。
だけど、こちらが働き変えても返答がない場合、私はゼロになる。
というか、ゼロになってしまう。

ソリストがアマチュアさんの場合、主導権が自分に向かないように、できるだけ、耳を凝らす。
これがけっこう忍耐力がいるんだ。

だけど、少しでも、なにか出して欲しい。
その人なりの輝きを。
妥協はしない。

私なりのこだわり。ゲーム。
そちらの方が、育てることになると信じてる。

伴奏も弾けるソロの先生がレッスンするときには、主導権を持ってしまっても良いと思う。
それでも、それに慣れてしまわないように。
カラオケの音源で練習することも、メトロノームで練習することも、
参考なら大いに役に立つ。
ただ、危険性を伴うということ。
そこには、押し返しがないからだ。

即興的なやり取りはきっと、人間が演奏することを意味と成す砦だと思う。
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2012年01月05日

新年の抱負的なこと考えようかな。

「かたち」と「なかみ」。
何においても、どちらも大切。
だけれど、今年は「なかみ」に重点を置きたい。

昨年は、とりあえず拡げた気がする。
やりたいことはたくさんあって、それを考えるとワクワクするけれど、考えているだけじゃダメ。
「かたち」にこだわりすぎて活動が頓挫すると勿体ない。
内容の、よりコアな部分を考えることで、ちゃんと「かたち」にしていきたい。
怠惰な道を選ぶのではなくて、自分の選んだ道で楽しみたい。


飛行機の中で、赤ちゃんを抱いたお母さんがいた。
お母さんの笑顔と赤ちゃんの笑顔が、周りに自然と伝わっているように見えた。
キャビン・アテンダントは笑顔の赤ちゃんに自然に答えていた。
それで、CAのお客さんに対する笑顔も、心なしか増したような…。

いつでも優しさを感じ、伝えられる人間でありたいと思う。
posted by whitedaydreams at 23:24| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月11日

瞬間。

魂の叫び、精神の訴え。命がけの演奏…

作曲家が紡ぎだした音楽は、書いた瞬間は「ここしかない!」という音が集まったものだと思う。
そうして、他の人には書けない個々の作曲家の作品が誕生する。
ここでいう「作品」は「=(イコール)楽譜」ではない。
作曲家によっては、出来上がったものを書き留めたメモ程度のものもある。
ピアニスト=コンポーザーの場合、演奏のタイミングまで「ここしかない!」と考えたことも有り得そうだけど、
書き手はそのすべてを楽譜に書き残すことは出来ない。

演奏家はまた、瞬間瞬間でタイミングや強弱を選び取る。
やはり「ここしかない!」というものを探り当てる。
まったく自由な範囲から選ぶのではなくて、ある音を出すその瞬間を切り取ると、
そのタイミング、その強弱でなければ成り立たないと私は思う。
何度も練習し思考しながらタイミングを決める人然り、その場その場で違う演奏する人然り。

それが成り立った時に、琴線に触れる感覚。
これをその場に立ち合った聴き手も分かち合えると鳥肌が立つ。
そんな瞬間。
一回性の出来事。

演奏するときは、ずっとその瞬間を求めてる。
どこかで何かを怠ったら、その瞬間には出会えない。

作曲家と演奏家の思い描くもののズレというのは多分にあると思う。
ピッタリ合わさるなんて幻想かも知れない。
微妙なズレを感じることで、演奏家は模索を続けるのかも。

でもその「ここしかない」タイミングが、ピッタリ重なる瞬間がある気がした。
今日はそんな日だった。
それは、完璧なテクニックがなし得る技ではなくて、
経験と精神力。そして、音楽を通して生きること。

出てきた音が全てではなくて、演奏家を通して音楽を想像すること。
聴き手も一緒に懸命に聴くことで、その瞬間が現れる。
瞬間をひとときも聞き逃したくないとと願うこと。

そのくらい懸命に聴いていただけるような演奏は、たまにしか出来ていないと思う。
まだまだ道の半ば、私はずっと目指したいと思う。
たとえ初見であっても、本気で弾くこと。精神力を鍛えること。

そして、聴くことも一所懸命に。
posted by whitedaydreams at 20:30| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月15日

小さな世界

浮世離れした研究者も、宇宙語を話す音楽家も、
自分の道をただひたすら進むことが許され、
平和に過ごすことのできる世界になりますように。

各々に政治観や社会的な立場、倫理観、知識などが問われ、
「わからない」が許されない世界は私にとっての理想じゃない。

音楽と他のことを切り離すことはできないし、
音楽家である前に一人の人間なんだけれど。

何かの知識が足りないからといって
困ったり、責められたり、しなくていいような。

実際には、何かの才能が突出していて、他のことにはまるで頓珍漢な人もいる。
そういう人の力も惹きだして、うまく活かせるように
…って理想は現実から離れすぎているのかな。
posted by whitedaydreams at 23:39| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月12日

思うこと。

しばらくブログを書いてなかった。
迷惑コメントを削除する作業のためだけにブログを持っているのも空しいので、最近思うことを書き留めておこう。

震災後、今までの普通の活動が一度とまり、リセットされた人が多いみたい。
ようやく、震災のことをそれほど考えなくなってきたけれど、やはり以前の生活とは何かが違うような気がする。
夜中に揺れたりするからってこともあるし。

どうしても考えてしまうのが、人間の進歩主義に対して自然が怒っているのではないかという漠然とした恐怖。
ジブリだったり、手塚治虫の漫画だったりを思い起こす。
自然が怒りだすとどうなるのか。
(純文学系もありそうだけど…SFとかしかパッと思いつかないな。。)

最近思い起こすのは、火の鳥の未来篇。
無論、原発と原爆を混同視するつもりはない。
けれど、未来篇に描かれた「戦争をして共倒れになって人類がいなくなっちゃった先の世界」なんてものを思い出すのは、
野菜とか動物とかに影響が出てて、身近な自然が、人間の手によって恩恵ではなくなってしまったからかも知れない。
動物たちも可哀想だ。魚さんは逃げてくれ。
このまま進むとどうなるんだろう…という怖さがある。

文学作品や映像作品などはそのようなことを人間の感情に訴える力がある。

私は「電力なんてなくても困らないだろう」とは言えない。
いま使ってるパソコンにだって、電気の安定供給のなかで使って作られた部品が入ってる。
電力の安定供給により、国力が維持されている。
東大が電力をたくさん使っているのは事実だけど、少なくとも原子力の研究はいまオワコンだし、
夜遅くまで人類の知的興味のために研究している人たち自体が悪いわけじゃない。
どこかに罪をなすりつけようとした体育会的な考え方は嫌い。
企業全体とか大学全体に責任を取らせるみたいな…。

専門家ではない私たちが考えることが可能なのは、
自然とは何か。人間とは何か。政治って何なのか。
何を大事にすべきかという、一言では解決できない問題ではないかな。
音楽家は、音楽で何をできるか?と考えているようだけど、そのまえに、まずは一人の人間として。
自然を感じさせる曲を演奏してみるだけでも考えさせられる。

私は、震災直後から数多く開かれている看板を変えただけの安易なチャリティー・コンサートには違和感を覚えている。
演奏家がいつも弾いているレパートリーを
「今年は気持ちを込めて弾きます!」というチャリティー・コンサートが、私にはよくわからない。

私がわからないだけではなく、あまり良い印象を与えてはいない。
いくつか「チャリティー・コンサートなら行かない」っていう意見を目にした。

いつもと何が違うの?
何のために弾いてるの?
演奏への対価が払いたいんだけど。。

もちろん、名の知れた海外の音楽家がわざわざ日本に来て演奏してくれたら、その活動をテレビで見ただけでも心救われる人がいるし、
逆に、日本人で海外にいる人が海外でコンサートしたら、「日本人頑張ってるから日本を助けてね」っていうメッセージになる。

でも、日本人がいつも通り日本でするコンサートに、チャリティーってくっつけるのは、
ただの人気取りか自己満だと感じてしまう。
「演奏が聴けて寄付も出来るなんてお得ね」って思ってる人にはいいけど。

演奏家が、演奏会してもらったお金を寄付しようが、へそくりを寄付しようが、同じお金。
結局、お金の力で助けてるってこと。で、それは汚いことでも何でもなくて尊いこと。
最近、チャリティーが多すぎる。
普通にコンサートして、あとでひっそり寄付した方がよっぽど良いんじゃないかと思うんだけどな。
とっても純粋に音楽に向かっている人たちには失礼かもしれないし、企画側が勝手にしちゃうんじゃしょうがないから、
聴きたいコンサートがあれば構わず行くつもりではあるけれど。

それから…ずっと話題になってる小出さん。
私は基本的には脱原発なんだけどなぁ…。

一見わかりやすく話しているようには見えるけど、彼に対しては、はじめて見たとき何か違和感を覚えた。
まぁ助教なのに准教授って勘違いしている人がいるのは置いといて、ちょっと調べてみると査読論文が少なく、
少なくとも研究業績のしっかりした人ではないみたい。
そのようなことを書いているサイトには、反原発の人がわんさか来て、管理人がいい加減うんざりみたいだからリンクは控える。

研究者として確立できなかったのは権力に潰されたからだとか言われているけれど、
そんな権力に潰されるような学会しかないのだったら、その分野が終わってる。研究ってそんなものじゃないでしょ。
思想と関係なく中立であるべきものだよね。
(てんで学会発表とかしてない人が偉そうに言えることじゃないけど)

本当に反原発思想で、原子力の専門家で、ちゃんと研究している人が昔、日本にもいたみたい。
肩書きなんてなんでも構わないけど、研究の妥当性がないと判断材料にならない。
査読論文を出してないということは、他人の目が入っていないということだから、その独自研究(?)を鵜呑みにすることはできない。
思想は反原発で、ちゃんと研究してる人がいたらいいのにな、と思う。

理系の人たちは、はじめから絶対安全だなんて思ってなかった。
ただ、電力は人々の安全のためにも使われてる。
昔は電力なくても生きていたかもしれないけど、現状そうなんだから仕方ない。

こういうこと書くと変なコメントが付いちゃうのかな…名の無い個人のブログはほっといてね…(笑

後出しで情報公開する政府は信用ならないから、私はちょっとでも危ないものは食べてない。
さすがに水は買わなくなったけど、それは私の判断だ。

少しでもちゃんと情報公開して、危なくない形で、新エネルギーの開発を進めて欲しいと思う。
反原発でも脱原発でも原発推進でも中立でも、もともと活動家の人は別にして、扇動者に流されて思考停止に陥らないで欲しいな。
ネットに慣れてない人がネットで情報収集すると、あることないことかき集めてしまう。
自分だけはネトウヨじゃないと思っていても、ネトウヨと同じことをしてしまう。

それから、自分と考えの違う人に対する人格否定は、人間として見識を疑う。

私の人生が終わったあとかもしれないけれど、様々な研究者が言ったことの何が正しかったのか、実証される日が必ず来る。
それじゃ遅いかもしれないけど。
(わぁ、長くなった…)
posted by whitedaydreams at 19:39| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月10日

感性…

ちゃんとまとめて書こうと思ったけれど、疲れてるからとりあえず忘れないように書き留める。

日常生活で笑い、怒り、楽しみ、悲しむ。
自然と触れ合い、葉っぱの手触りを覚え、水が冷たいことを知る。
そういった経験と、
和音の響き、音色、楽器の手触り。
音楽に関わる様々な要素はきっと、各々の人のなかで、日常の様々な経験と結びつく。

感性を育てるって難しいけれど、たとえ微力でも、そういった結びつきを支えることができたらいいな、と思っていた。

さて、
水が怖い。魚が怖い。雨が怖い。野菜が怖い。
といういまの状況。

いくら安全だと言われても、これからを生きる子どもたちの親御さんが心配なのは当たり前。
少しでも悪影響のある可能性のあるものを子どもの口に入れたくないと考えるだろう。

小さい頃、私は浄水場に見学に行ったのを覚えている。
自分の口に入る水が、長い旅をしてきたものであることに、驚き感動した。
水車を見に行ったときには、循環する水の流れを人間が利用していて、
人間が自然と一緒に生きていることを感じた。
透き通った川の水はきれいだけど、水道水を見ているのもそれなりに好きだった。
水は綺麗なものだと思ってた。

大げさかも知れないけれど、
これで、水に対する感覚が変わる。
美しいとされたものが美しくなくなる。
水が循環することが怖くなる。

太陽をさんさんと浴びるために手を拡げた野菜が可哀想になる。
自由に泳ぎ回る魚は、どうか逃げて欲しい。


考え過ぎかも知れないけれど、
水と関連するイメージを持つ曲の綺麗さを、
これからの子どもたちに伝えるのが難しくなるかも知れない。

自然への畏怖を歌った曲とは全く違うおそろしさ。

果たして、これまで通り演奏し、教育することができるのか?
と考えると涙が出そうになる。


そしてこれは、いまに始まったことではない。
色々なものに対する感覚は、普遍的ではなくて、人間が変えていく。
良い方にも悪い方にも。
posted by whitedaydreams at 00:48| 東京 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月29日

大切なものは目に見えない?

「これだけたくさんの音大がなぜあるの?必要なくない?」
って意見には賛同できない。

なぜなら、たしかに早期教育が活きる分野ではあるけれど、
大学に入ってから、ぐーんと伸びる人も稀にいると思う。
それから、どこの音大にいたって、本気で音楽に取り組んでいる人はいると思うし、
審査する先生方の審査基準と合致しない美的感覚を持ち合わせた人もいるであろう。

ただ、先生方が呆れてしまうのは、モチベーションの低い学生かな。
楽器を操る技術が足りないのなら、教えることができる。
音感もきっと、鍛えることができる。
ただ「音楽がしたい」って気持ちがない人には、
どう教えたら良いのかわからないのが事実だろう。

そういった生徒を持つ教師に求められるのは、
まず、音楽の魅力を伝えることじゃないか、と思う。
なにかのきっかけで突然やる気になるかもしれない。
忍耐が必要で、教師が頑張ったって無理なこともあるだろうけれど。
魅力を伝えるのは本当はきっと楽しいこと。

私は、音大生とアマチュア楽器弾きのあいだに線を引く必要性は
もはやあまりないような気がする。
「親の金つかって音楽の勉強してるんだろ!」って言うけれど、
「がんばりゃ金になる」世界でもないし。
「勉強もできないし、とりあえずいままでお金かけてきた音楽で大学に」
って人がいるのも事実。

教師がいかにモチベーションを保っていけるか。

私は、自分が少しでも教えた人たちが、
プロとして働かなくても、演奏活動ができなくても、
少しでも音楽に関わるコミュニティ全体を支える力になればいいのでは?と思ってる。

実際、聴衆のなかには、少しでも演奏のできる人が多い。
(弾かない人もいて、それはとても有り難いことなんだけど!)
そういう「弾ける」人たちが音楽に関わるコミュニティの力になっている。
そういった人たちに、ほんとうの音楽の魅力の切れ端でも、
少しでも伝えることができれば!
たとえ弾く力がそれほど伸びなくても、聴く力が育ち、
聴衆としてこれからの音楽を支える大きな力になるのではないかと思う。
(ひょっとすると、「書く」方とかまた全然思いもしない方向に行く人もいるかも。)

アマチュアの音楽家と触れ合うときにも一緒。
本当の音楽をなるべく伝えたい。
「演奏が人前でできればアマチュアの人は楽しいんだから」とか言って、
専門の人とは違うと線を引くの、私は嫌い。

いつでも本当の音楽を伝える努力を厭わないようにしたい。
当たり前だけど、音楽は「つくる」側だけのものではない。続きを読む
posted by whitedaydreams at 23:26| 東京 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月13日

楽譜の力

−−−もう授業期間は終わり


音源が手に入らない曲が、スコア・リーディングのクラスの課題として出てるみたい。
CDなどが出てなくても「この曲好き」って言えるのが、
スコア・リーディングをすることの醍醐味かも知れない。

楽譜だけでも、音楽は存在してる…はず。

いま私の頭のなかでがんがん鳴ってる曲は、たぶんCDなどが出ていない曲。
ピアノ1台をひとりで演奏できる範囲は、技術的に限られるけれど、
頭のなかならそういった制限はない。
色んな楽器の音色を鳴らすこともできる。

想像を膨らませた上で、ぜひとも音にしなくては、とも思う。

ジョゼフ・ヴィエニアフスキ(ヘンリクの弟)のトリオの第2楽章。
耳から離れない。不思議。
ちゃんと音にしたい。

さて、話は飛んで、音符カードの紹介。
ともだちかーど―楽しい音楽導入教材 [単行本] / 石丸 由理 (編集); ドレミ楽譜出版社 (刊)
音符の長さがちゃんと表されてて、裏は休符になってます。
付点四分音符はぴったり八分音符の三倍の長さ。
お値段もお手頃なので買ってしまいました。
ちびっこ軍団を教えるときに、役に立ちそう。
posted by whitedaydreams at 23:02| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月12日

楽典

楽典。

音楽高校や音楽大学の入試にあって、
授業にはない科目。
「音楽」の「楽」だけとったんだろうなぁ…。

いろんな学校の調判定の過去問を見たり、
楽典の本に書いてある「調判定の解き方」を見たりしていると、
(入試のための)楽典として特化した部分が、
不自然に思えてきます。

どうせなら、芸大和声の1巻とかを課題にすれば良いのに。

でも、楽典の本を読むのは好き。
問題点もあるとは思うけれど、最近はこの本が主流の様です。

新版 楽典―音楽家を志す人のための [単行本] / 菊池 有恒 (著); 音楽之友社 (刊)


心が弱くなったとき、
人は誰かに頼ったりもするけれど、
頼れるのはやっぱり自分自身。

受験に笑い、受験に泣いた自分が、
他人の受験のお世話をするようになったのが、
なんか不思議な気がする。
私と同じくらいの世代の人たちが、
受験生を教えたりするような時代になりました。

人の有り難さや、環境に恵まれてることに気付くのは、
厳しい局面を通り越して、少し経ってからなんだと思う。続きを読む
posted by whitedaydreams at 01:51| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月19日

とりとめのないこと

録音があって、疲れたから、今日ブログを書くって決めた。


小さい頃、ピアノの先生に言われたこと。
教えることに関わり出したいま、
思い返して考えることが多い。

あのとき先生が言った言葉は、
どういう意味だったんだろう。

いまあなたはまだ小さくて、できることは限られてる。
ぎりぎりまで拡げでも、小さい、その枠のなかで弾いてる。
でもね、同じことしかできなくても、
その枠を一度取り払ってみて、
限りない大きなものを想像して欲しいんだ。
いまはよくわからないだろうけど、いつかきっとわかるはず。


こういった意味のことを言ってた。
ときどき憶い出す。
なんだかよくわからなかったけど妙に印象的だった。


ピアノの独奏曲を弾くってだけの世界から
ちょっと飛び出すことってなにがあるだろう。

ちょっとしたメロディをつくったり、
ピアノと関係ない曲を自分の指で弾いてみたり、
それを変奏してみたり、
作曲家と同じ時代の小説を読んでみたり、
演奏表現を言葉にしてみようと喘いだり、、、そういうこともあるかな。


ちょっと飛び出した世界で得られた数々の経験は、
自分の身体や精神のなかで有機的なつながりを生み、
いつか何かの形で外に出る。

それを自覚できたときは、楽しい。
この楽しさが音楽に携わる自分にとってのおおきな収穫。
自覚できないところでのつながりも、きっとある。

楽譜ってモノが、切り取られた断片に過ぎなくて、
これだけじゃなにもわからない気がすることがある。
そうかと思えば、楽譜を見るだけで、
どんどん想像が膨らむこともある。
これは、わたしのなかでの、何かの経験が活きているんだよね。

まず、このような、
一人の人間のなかでのつながり。

それがまた、
このジャンルの音楽にかかわる人々のコミュニティ全体に
当てはめることが可能じゃないか…とか。
で、そこで新しい価値が生まれるとして、
その価値判断をするのは?
とか最近ぐるぐる考えている。

もうちょっと整理しなきゃ。
posted by whitedaydreams at 23:20| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月03日

レクリエーション

−−二つの道で迷っていたけど、結局どちらでもない道に進むことにした


まぁ、なにごとも他人と同じ道を選びたくないタイプみたいなので、これで良い気がします。


さて。
なんだか最近「チェルニー」って文字やら肖像画やらをよくお見かけするのですが、なぜだろう(笑)。

院部屋にはなぜかチェルニーのソナチネのペーター版なんていうなかなか見かけないものがあって、それを見つけた人は「チェルニーってソナチネ書いてたんだ!」って驚きの言葉を発するのですが(ソナタ書いてるのにね。)、さらによく見ていたら、"100 Erholungen" ってものがありました。
英語のタイトルはrecreationって書いてあって、文字通りレクレーション。気晴らし。

はじめの方は、キラキラ星もどきのようなハ長調の旋律がいくつも載っている…と思うと、
「キラキラ星」もちゃんと登場。
しばらく捲っていくとオペラのアリアやヨーロッパの国々の国歌などがいくつも載っていました。
こういった「こども用の曲集」は19世紀に多く出版されていた様。
子どもたちが「知ってる、知ってる!!」って言って楽しみながら、オペラのアリアを弾いていたのかなるんるん

"Erholungen" でググッてみると、なにやらこの曲集の曲を含め、チェルニーの練習曲などをいくつも抜粋して並び替えて、曲集にしたものが日本で出版されています。
私が小さい頃つかっていた「こどものチェルニー」の新版みたいです。
ただ、そのなかには、どうやら、オペラの原題を外してしまって、勝手に編集者が適当な題名を付けているものがあるみたいです。。うーん。
これじゃ、小さい子がオペラに興味を持つことができなくなってしまうし、なによりチェルニー作曲じゃないのにチェルニー作曲みたいに見えてしまうことは問題じゃないかしら。

と、おもっていたら、全音からちゃんと出版されていましたひらめき

ツェルニー 初歩者のためのレクリエーション 解説付 [楽譜] / 全音楽譜出版社出版部 (著)...

さすが全音。

全音版は中身を見たことがないのでわからないけれど、ペーター版はたまに「プレリュード」と称した音階の練習みたいなものが挿入されていました。
調を替えるときには、音階などを弾く習慣があったのかな。

さてさて、チェルニーのおすすめの曲などありましたら、教えてください。
posted by whitedaydreams at 23:52| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月20日

Seesaaブログに一言!

週刊ブログテーマ
今回のテーマ:Seesaaブログに一言!

はじめSeesaaブログを選んだ理由は、flashを置けること。
アップできるファイルの種類が多いです。
ほかにあまりないので、ここは推しても良いポイントだと思います。

デザインがもうちょっと増えて欲しいなぁ、とは思います。

7年の誕生日なんですね。
思ったより若い。
これからもずっと続いて欲しいと思います^^
posted by whitedaydreams at 22:18| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月26日

ピアノはいつピアノになったか?

最近、ピアノ関連で面白い試みの和書がたくさん出版されている。
まぁほとんどが、岡田暁生さん関連。
面白い試みだからこそ、細部をしっかりして、嘘のない様にして欲しい。

ピアノを弾く身体 [単行本] / 岡田 暁生, 近藤 秀樹, 小岩 信治, 筒井 はる香, 伊...
これは、ちょっと残念な部分が多いと思った。
ピアノ弾きからみると、音楽研究者のピアノ経験とか書いてあってもどうしようもないし、役にも立たない。
ハイフィンガー・テクニックが批判されて久しいが、重量(重力)奏法ですべて解決されることでもない。指と身体全体と…結局はバランスが大事。
ヨーロッパでだって昔は指示されていた奏法。
そちらの方が魅力のひきだせる楽曲もあると思う。
ピアノのテクニックに関しては、
ピアノの知識と演奏―音楽的な表現のために (ムジカノーヴァ叢書) [単行本(ソフトカバー)] ...
を読んだ方が良いと思う。

それはそうと、ピアノ弾きから見ても興味深いことはたくさん書いてある。
ただ、こういった試みの本を書くのなら、ピアノ弾きと少しはセッションすれば良いのに、とちょっと思ってた。
それが、次の本で少し実現されたみたい。

ピアノはいつピアノになったか? (阪大リーブル001)【CD付】 [単行本(ソフトカバー)] / 伊東 信宏, 松本 彰, 渡辺 裕, 渡邊 順生, 村田 千尋, S. ギニャール, 岡田 暁生, 小沼 純一, 三輪 眞弘 (著); 大阪大学出版会 (刊)

って、岡田暁生さんだけではなく、いろいろな人たちの共著だけど。

この本は、大阪でおこなわれたレクチャー・コンサートのことをまとめたもの。
もし東京でおこなわれてたら行ったんだけどな。
個人的に、ギニャールさんの書いた部分が興味深かった。
参考にしているのが、エーゲルディンゲルの「弟子から見たショパン」だけなのはさておき、
オペラのベル・カントがピアノにあらわれていることを分析し、
(こういう分析って「絶対」っていうことは不可能だと思うんだけど)
当時のピアノで学生に教え込み弾かせて、付属CDの演奏もステキだということ。

研究者と演奏者のかかわりから何か開かれるはず!!と思っている私にとって、
これはすごく新鮮で嬉しいものだった。

(風邪を引いているせいかまとまりのない文章だけど、勢いに任せてアップ。)
posted by whitedaydreams at 20:47| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月22日

違和感のもと

2人、どうしても自分と合わないと思う人がいた。
もやもや感をぬぐい去れなかった。
ひとりは先生(音楽家)で、ひとりは本書く人(会ったことない)。
どっちも日本人。

能力はあるし、私の知らないことをいっぱい知っているし、
尊敬すべき人な気がするのに、どうも私のなかで何かが抵抗している。


2人の共通性に気付いた。
ヨーロッパの言語が色々できる。
全体的によく知っている。
ヨーロッパ全体を、大きく捉えられている。

それだ。。

もちろん、クラシックする人はヨーロッパの言語、わかるに超したことはない

はずなんだけど……


私の感じる違和感は、全体的に把握しているからなのか、
個々の特徴が抜け落ちている部分かも。
私が知らないからダメなのかも知れない。
本当はその人が正しいのかも知れない。

だけれども、
フランス専門の人とかからは、その違和感は感じない。
なんだろうこれ。
達者に上手く生きてきた人なんだろうな、っていうのが先に立っちゃって、
深く感銘を受けることがない。

ドイツ人がイタリアに行ったら、イタリア音楽のことを、あくまで外のものとして受け入れると思う。ほかもおなじ。

ただし、海外のことを勉強している日本人は、すべて外のもの。
それで、フランス、ドイツ、イタリアの特徴などが、
中和されちゃうんじゃないかな。
それで、抜け落ちちゃうのでは。。


うーん…もしも完全なる人がいるのなら、会ってみたい。
posted by whitedaydreams at 20:03| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月27日

演奏会を終えて

スペクトリオ第4回コンサート。
来ていただいた方、どうもありがとうございました!
残念ながら予定が合わなくて応援していただいた方もありがとうございます。

忘れないうちに感想書いとこ。

とにかく、一番弾いて良かったと思ったのは、
「ラコンブいいですね。」とか「ラコンブ、なんかいい!」
って感想をもらえたこと。
なかなかそんな会話しないから…(笑
その空間を共にできたことの喜びるんるん

チラシ配るときとかに、「ラコンブって作曲家は知らない」って何度も聞きました。
「あまり知られてないので知ってる人がいる方がビックリなので…」って説明するものの、
「あまり知られてない」を強調すること自体が作曲家に悪いかも?とか思いだして、
どう説明すれば良いのか迷ってたんだけど、
いざ弾いてしまえば(こっちのモノ!じゃなくて…あせあせ(飛び散る汗)
聴いた人は皆、自分の感想を持つことができる。
良い感想も悪い感想も。
それでこれからは知らないなんて言わなくてすむハートたち(複数ハート)

私は「楽譜さえあればそこに音楽は存在する」と思ってるんだけど、
それでも、演奏することの意義を感じられた瞬間でした。


それから他の曲もね…(笑

フォレが!!
う〜ん…もうちょっとできたよな…というのが正直な感想。
トリオとして洗練した書法。
自分でトリオを書こうと思ったときに、かじり付いて見たのがこの曲。
ピアノと弦楽器のバランスが本当にシンプルで対等な感じがするのです。
結構ながく弾いているのに、まだまだ勉強しなきゃ、、というか、
いつまで経っても付き合っていきたい曲です。

ラヴェルのボレロは楽しんでいただけたのだろうか?
私の頭のなかに鳴ってるのは完全にオーケストラ。
さて、聴いてる人はなにを聴いていたのか?(って変な表現だけど。)
とにかく楽しんでいただけのだったらいいな〜。


トリオ(主にロマン派以降)って大きく2つにわけられると思う。
シンフォニックなものと、ソロが3人合わさったようなもの。

ラコンブは前者で、フォレは後者。

ラコンブにもソリスティックな部分は多々あるんだけど。
シンフォニックなものっていうのは、
弦楽器のパートに、オケパートの弦楽器の部分みたいな箇所があったり、
ピアノがオーケストラの代わりっぽかったりする。
ピアノがトレモロ弾いてたり、弦楽器は一人で何人分も弾いてたり。
スメタナのトリオとか代表的かな。

ソロが3人合わさったという意味で、フォレはその最たるものだと思ってる。
そして、こういう曲に出会えるのもトリオの醍醐味。
4人だとそうはいかない。
4人揃うと、ちょっとシステマティックになるんだよね。
音程の調整できる弦楽器2人、平均律の楽器が1人、というバランスがちょうどいいんだと思う。

そんなこんなで、トリオをやってると、室内楽的とか交響的とかって何だろう?なんて
素朴な疑問にも向き合えたりします。

さて、まとめどころがわからなくなってしまったけど、
これからもスペクトリオは頑張っていきたいと思います。

来ていただいた方、手伝っていただいた方に感謝。
会場の方にもとても良くしていただきました。
そして、共演してくれた2人、どうもありがとう!!

レポートみたいになってしまったプログラム解説。
読んでいただけたのかしら…(笑

トリオのブログにあげよっかな〜。


まとめは………サンドイッチ美味しかったです手(チョキ)
posted by whitedaydreams at 22:18| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月10日

夢を見ていたりする

タイトルの White Daydreams は、本当は daydreams だけで白昼夢(白日夢)。
白昼夢っていう言葉が昔から好きなのと、ホワイトデー生まれを、くっつけた感じです。
真昼に見る夢。

なぜ日本語で白なんだろう。
白夜も白だから、日本人にとって白って、そういう色なんだろうな。

白が好きなわけじゃなくて、いま好きな色はレモン色なんだけど(笑)。
小さい頃は白が大好きだった。


理性で閉じ込めようとしても、どうにもならないこと。
このタイミングしかないっていう心の動き。
たぶん、そんな、どうにもできない、そこしかないタイミング。
自分で決めた、そこしかないタイミング。

ちゃんと動けるかな。


音楽は、人を動かすかも知れない。
動かさないかも知れない。(あれ?

よくわかんないけど、どこかに止まっていることはできなくて、
常に動いてるもの。

風、波、うた、音楽、夢、こころ、人、時の流れ。



とまらない、おんがく。
posted by whitedaydreams at 20:37| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月01日

ネットでのスタンスについて

わたしは「音楽学」の研究者ではないんだけど、
(ここ重要、彼らに迷惑をかけたくない)
大学院生である以上、何かを書かなきゃいけない立場にあるわけで、
ネットでのスタンスについてはある程度考えてます。
本名を公開する人も増えてきたけど、それはちょっとイヤなんだな…。

で、気をつけてること。

研究じゃ許されないようなことを敢えて書く!

言葉遣いもそうなんだけど、わざと変えるようにしてたりします。
最近、ネットスラングはあまり使わなくなったけど(笑

そのなかで探りたい。
何が違うかな?何が見えるかな?って考えながら。


それから、

「好き嫌い」を書く!

手(チョキ)

論文で「○○が好き」とか語るわけにはいかない。
どういう点で具体的に何が違って、どういった価値基準から定義づけられるのか、とか、ある種の客観性を持って考えなくちゃいけないから。

それで、ネットの場合「○○が好き」とわざと書くようにしてる。
中途半端な位置に立つとかえって突っ込まれることになるから。
ただ「好き」なだけで、他の価値観を持つ人がいることを否定しないよ!っていう意味。

まぁそれでも突っ込む人はいる。
別に突っ込まれるのはイヤじゃないんだ。
好き嫌いのことから、どういった価値観の人がいるのかわかるのはおもしろい。

でもさ、「好き」だから「好き」って書いてるだけなのに、
「それなんでだ!」って怒られても困る。

なんかいろいろ理由はあるにしても、結局行き着くのは自分の好みなんだもん。

こういうのって本当に研究畑にいて、それが「好き」な人たちからは理解されないかも知れないなぁ…。

長くなっちゃった。

でも最近困ってること。。

知識を共有してない人との会話。
どんな知識を持ってるのかわからない人との会話。

はじめて自分の属するコミュニティの共有知識の存在に気付いたりする。
当たり前と思ってることが通じない。
ここを説明するの、とっても難しいことなんじゃないかと思う。

どんなコミュニティでもあるんじゃないかな。
専門用語が使えない。
「この本を読め!」なんて言えない。
「ではこの場で○○は△△と定義します」とか言いたくない。

これを乗り越えられないのはたしかに力不足なんだけど、
そこを乗り越えてる人って、そんなにいない気がする。


ただ、できるだけネットでは話し言葉で考えたいんだ。
こういったことに共感してくれる人、いないかな……。

この次はちょっと西洋芸術音楽じゃなくて「クラシック」という言葉について。
ヒエラルキーについて。

書ければいいな・・・(笑
posted by whitedaydreams at 17:01| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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