2010年08月03日

初見

「どうしたら初見が出来るのか?」
ってよくきかれる。

まぁ、その方法を知りたければ、「初見」ってググったり、自分の気に入っている演奏家の本でも読めばイイと思う。
なんかいろいろ言われるけど、本気で自分が望めば望む分だけ、できるようになると思ってる。
そもそも初見ができなきゃいけないわけでもないし、マジシャンみたいに弾けたって、ピアノ・マジシャンにしか、なれない。
初見の能力を鍛えることで、自分が何がしたいのか、考えよう。

最近は、初見の試験以外で、人前で初見で弾く機会なんてまずない。
演奏する予定だった演奏家が急にキャンセルになって、代わりが自分しかいない場合でもなければ。

ただ、仕事で必要になるときはたまにあるかな。
わけもわからず初見でいっぱい曲を弾かされて、必死で弾いてたら、
「初見でこれくらい弾ければ大丈夫だ。」
と仕事を任されたことはある。

わりと、フランスで学んだ人に、初見能力を重視する人が多いかな。
でも、初見ができないからって、演奏が悪いわけじゃないのは忘れちゃいけない。

ただ、私がなぜ初見がしたいかっていうと、
「わくわく感」を味わいたいからかも知れない。
新しい本を開くときのわくわく感。
「さぁ、これからなにが始まるんだろう?」といった。
いっぱい本を開きたいし、楽譜も開きたい。

はじめの出会いは大切。
だから、いきなり弾き始めないようにしようと心がけてる。
ちょっと全体を眺めてから。
そこで、自分と作品との出会いが始まるから。

私は、たくさんの作品と出会いたい。

「初見が好きな人は読譜が甘い」なんて意見をたまにきくけど、初見するから甘いわけじゃないと思う。
本当に初見ができる人で、本当に素晴らしい演奏家がいるわけだから。
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2010年07月28日

本能

中学のとき、中学で流行ってたような自己紹介カードの「趣味」って欄に「ピアノをじゃらじゃら弾くこと」って書いてた友だちがいた。
私とおなじピアノの先生に習ってた子だったんだけど。
面白いな、と思った。

じゃらじゃら。

よくわかるようで、不思議な表現だった。

「すべての音に意味がある。」
という人がいる。

「どの音も生きてる、殺しちゃダメ。」
ってピアノの先生に言われたことが今でも私の演奏に生きてると思ってる。

作曲するときは無駄な音は書かないようにする。

ただし!

たまには何にも考えずに手の動くままに鍵盤を走り回りたいときもあったりする。
「即興」と呼ぶかは別にして、本能で鍵盤を動き回るような作品はあると思う。
弾きやすいパッセージを繰り返して、縦横無尽に動き回る。

なにも考えずに鍵盤を走り回ると言っても、どうしても、自分の手の大きさ、それからいつも弾いてるジャンルの指の動きの影響を受ける。
それは、身体に直結してるのは間違いない。
もしも、あるジャンルの語法がしっかり身体に染み付いた人は、本能でそのジャンルの動きができるんじゃないか。

ピアノの語法、各ジャンルの語法。

仮に意識下にない動きだとしても、
機械的な動きと本能的な動きに線を引くのは難しいと思う最近。

演奏者は何を訓練してるのであろうか。
posted by whitedaydreams at 22:17| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月17日

「音が綺麗」と言われたとき

20世紀以降の音楽をたくさん弾いている、あるピアニストが「綺麗な音で弾けばどんな曲だって綺麗なんですよ」って言ったらしい。
もちろん、綺麗じゃない音楽があったって一向に構わないわけだけど、この言葉は、演奏者の存在意義みたいなものを考えさせてくれる。
20世紀以降に調性崩壊した頃の作品の構造が、直接、聴き手に不快さを与えるわけじゃない。
聴き手は、あくまで演奏者の音を聴く。

個人個人の持つ「音色」は一つの個性。
たった一つの音を聴いただけで感動させられたこともある。
こんな素晴らしい音色を持つ人がいるのなら私がどれだけ練習したって敵わないんじゃないか、と思ったことさえある。

〜・〜・〜・〜・〜・

私は、大学1年のときに音の出し方をガラッと変えた時期がある。
これはヴィオラの先生の影響。
たまたま同じ時期に知り合いのピアノの先生からアドバイスを受けていて、身体の使い方から考え直してたときだった。

ヴィオラを邪魔しない音っていうのは、ただ小さい音じゃない。
音量は大きくても邪魔しない音質を出すピアニストがいる。
邪魔する音を出してしまった場合、ピアノじゃない楽器の人には、ただ「うるさい」で片付けられてしまうことも多いんだけど、ほんとは音量じゃなくて音質の違い。
尊敬するヴィオラの先生はその点も根気づよく説明してくれて、しばらく経ったあと「変わったわね」ってちゃんと認めていただいた。

いくら色んな音色が出したいと思ったところで、それをイメージし欲しないと音色は作れない。
欲してイメージが固まっても、身体の使い方を変えないと音色は変えられない。

難しいことだけれども楽しい作業。
これからもずっと色んな音色を作っていきたい。


「音が綺麗」というのは常套句じゃないか、と感じたこともある。
どんな曲弾いてたって「音が綺麗」といえば褒め言葉になるから。

でも、他の楽器の人に言われると嬉しいのは、そんな理由から。
やっぱりピアノの音が好きだから、他の楽器の人にも認めて欲しいんだ。
そして、一色じゃなく多彩な音色を出せる様に。
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2010年07月02日

音色

歌手は色んな表情をして歌を歌う。
笑顔だと本当に笑ってるような声になるし、怒りの表情だと本当に怒ってるような声になる。
CDの音だけで聴いていてもそれはわかる。
伝わる度合いは生演奏と幾分劣るかも知れないけれど。
演奏会の場で目で見ることのできる表情は、CDとなった音にも表れていると思う。

声楽はもっとも身体と結びついている音楽だし、大抵の人はすこしは歌を歌うから、理解しやすいことだと思う。
笑顔だと口角があがり自然と声色が明るくなる。
深い声を出そうとするときは、おなかの下の方を下げるような感じかしら。

じゃあ、ピアノを弾くときの音色は?

笑って弾くとやっぱり変わると思う。
それは、ただのイメージだけじゃなくて、使う筋肉が変わるから。
「笑う」だけだとわかりにくいけど…
例えば、歌で高い声を出すときには、歌の先生に、天に突き抜けるようなイメージを持つように言われたことがある。
声楽の細かいところはわからないけれど、声を当てる場所を変えるとき、自然と身体が上に行くのがわかる。
つまり、身体全体が高い声を出す体勢になる。
全身がその「高い」位置になってはじめて、ほんとの高い声が出る。

これは、ピアノの場合でも同じ。
声は出さないけれど、身体を、声楽と同じ様に「高い」状態に持っていかないと、天上から聴こえてくるような音色は出せない。
ピアノって、音色を変えるの難しい。
身体全体で音色を求めてやっと、求めた音色に少し近づく。

ピアニストの映像を眺めていると、同じピアニストでも、若いときは無駄じゃないかと思うほど表情豊かに動いていたのが、年を取ると落ち着いた動きになる人が多いのがわかる。
それは単に身体が衰えたわけじゃない。
若いときは、明るい部分では「笑う」、悲しい部分では「悲しむ」。身体全体を、その表情の状態に持っていくために、精一杯身体を動かして、音色をつくる。
そんな若いピアニストは、年を取るにつれて、顔で笑わなくても身体で笑うことができるようになる。
全体で動かなくても、どこを動かせば良いのか、長年の経験で身に付いているから。

ピアノの場合、音色を変えるのに動かしているのは、上半身すべてだったりする。
拡げたり縮めたり、上に持っていったり下に下げたり。
筋肉のどこを動かしてるのかはわからないけれど、確かにその感覚はある。
科学的には証明し難い微妙な動きだと思うけれど。
(誰か研究してる人いるかな?)続きを読む
posted by whitedaydreams at 21:45| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月19日

音楽は目標か手段か

音楽とは何か?芸術とは何か?


突き詰めると、精神とは何か?世界とは何か?
…まで発展するかも知れない。

音楽を芸術と考え、哲学的な課題の答えを求める人たち。
とにかく演奏をして音楽に向き合う人、様々な方面から研究をしている人、作曲する人、聴く人。
それらを組み合わせて考える人。

ある程度まで極めた人にしかわからないものなのであろうか。
私はそんなものではないと思う。
(結構いるんだ、自分以下を切り捨てる人…、音楽に対して真摯に向き合う人というのは、どこにだっていること、忘れちゃいけない。)
様々な人が色々な立場から、おなじ目標に到達する道の、ある方面のある段階から眺めている。
世界に名の知られた音楽家も、まだその道に志して日のないアマチュア演奏家も、様々な人が同じ高い山の色々な場所にいる。たとえ、山のふもと近くにいても、その傾斜角度とかから、山の頂上を推測することはできる、というようなイメージを持っている。
頂点というものがない以上、皆その道の途中にいる仲間だから。

そのように音楽自体を目標として、それは何か、突き詰めようとする人たちの仲間。


その一方で、音楽は手段ともなり得る。
学校教育では、協調性を高める手段、人間性を高める手段。
その場においては、音楽家が目標としているような音楽の芸術性は求められない。
むしろそれが邪魔になる場合さえある。
(小学校の音楽の先生には、私がピアノを専門的に学習してることは必ずしも良い様に受け止められていなかった。「みんなで楽しく歌おう!」という場で、未熟ながらも「音楽的価値」なんかを判断してしまうこどもがいることは、ハッキリ言って邪魔だったんだと思う。)

音楽がただの手段などと言ったら、音楽はそんなものじゃないと嫌がる人がいる。
協調性を目的とした音楽は、音楽的価値としては中途半端な音楽になる。
歌う人たちが気持ちよくて心がひとつになっていれば、すごい演奏になるだろうか?
そんなに甘くはない。
でも本人たちにとってはそうかも知れない。



手段としての音楽も、目標とされた崇高な(?)音楽も、繋がる部分はあるんだと思う。
芸術性を突き詰めた音楽は、それ自体が、作曲する人や演奏する人の価値観、人間性、世界観を映し出す。

そして、音楽自体はただの仲良しごっこであっても、人間性に作用する音楽。
涙の出る音楽。


程度の違いであって種類の違いではないかも。
あえてそこを繋いで考えることで、なにか見えることがある気がする。
posted by whitedaydreams at 22:05| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

わけたりくっつけたり

わけることで理解し、くっつけることでまた理解する。
その繰り返し。
2歩進んで3歩下がる。


…あれ、違う。。
反対だった。
posted by whitedaydreams at 01:06| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月09日

なにも書かれていない真っ白の五線譜に向かう。
楽譜の置かれていないピアノ。


なんでもできる。
でも何の手がかりもない。

どこからか引っ張ってくる。

そのときに、自分のできることは何か?
得意なことは何か? …考える。

些細なところから一歩一歩。

どの指の動きが得意か、どんな表現のテクニックを持っているか?
ピアノという楽器は何ができるのか?
和声はどうするか?
そもそも和声を使わないか?
リズムって何なのか?
速いってどういうことなのか?


まず、どの音から弾き始めるのか?


たくさんの曲を知っていることで、逆に、
大事なことに鈍感になっていく面もあると思う。
ひとつの音の美しさに、気付けなくなっていく。

どんなにいろんなことを知っていても、
真っ白の紙を前にすると、さてどうしようか?と考えるはず。

枠があるからできるだけ。
そんな人にはなりたくない。

無の状態になる時間、大切にしたい。
posted by whitedaydreams at 21:20| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月03日

ちょっとしたストレス

新全集のベーレンライター版って綺麗。
金色が入ってたりして。
新しいマークのシロクマくん(?)可愛いし。
ミニチュアスコアとかコンパクトで、まぁ信用できるから、よく見ます。

ただし、リダクション版は別。
編曲の質が悪い。
悪い意味で忠実。
すごくこだわってるけれど、こだわるとこ間違っていると思う。

モーツァルトのヴァイオリン協奏曲のリダクション版でだいぶ痛い目に遭ってる…。

まず、そのまま弾くと音が薄すぎる。
そのくせ音域とか妙に原曲通りで弾き難い。
弾き難くても、その効果は薄い。
ピアノの楽器の特長や、いまのピアニストが楽譜を見てどう思うか、全然考慮してない。

オーケストラのスコアと見比べたり音源聴いたりはするけれど、たまには初見で合わせたり、時間がなかったりすることもある。
そのときにベーレンライター版は、オケスコ想像できない。

弾けない音であっても余すことなく書いてくれているような楽譜なら適当に省略できるんだけど、大事なところ省いてあるとどうにもならない。
強弱やスラーなどを、そのまま写したからって正解じゃないことも、よくわかる。

協奏曲しか見たことなかったけれど、オペラもあまりよくないらしい…。
編曲としてはペータース版の方がずっと良い。

権威のある版だからって安易に信用せずに、ちゃんと比べることが必要ということかな。
それから、当時の楽器の特長や慣習と現代のそれをちゃんと研究したような楽譜があればいいのにな、と思う。
勝手だけど、クレッシェンドの位置が何ミリずれてるとかではなく(それも無駄じゃないかも知れないけれど)、慣習などの研究が注釈に書いてあったらすごく嬉しいと思う。


と、まぁ、短期間で弾かなきゃいけないための愚痴でした。
posted by whitedaydreams at 22:40| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月28日

もやもや

色んなもの、ざーっと読みすぎて、混乱してるみたい。
まとまってないと、なんにも喋れない。

心理学だの認知科学だの記号学だの美学だの、関連あるところだけ引っ張ってきて、大枠を把握しようと思ったけれど…。
当然ながら、どの分野だって一つ一つ築き上げてきたものがある。
ロジックのように上手くパズルをはめるのは簡単じゃないや。
もともとの知識もないし…。

でも、そこを分け入って無理やり進んでいくと何か見える気がする。
精読しなきゃ。

一般向けに書かれた書籍って有り難い。


メモ:
大演奏家なら許されるけれど、一般の人には許されない演奏ってのが、たぶんある。
「アルゲリッチなら許されるんだけど。」とかピアノの先生に言われたことある。
自らの立ち位置をハッキリさせることが演奏家に求められてるのかな。
学習者の立場では、してはいけない演奏というのがあるとしたら。

アカデミズムの影響からか、教育的な演奏に傾いてきている気もするし…。

日本人にはタブーの演奏みたいなのもあるのかなー。
posted by whitedaydreams at 18:53| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月23日

Happy Wedding☆







Amigurumi Turtles


Originally uploaded by Pepika


友だちが結婚しまして、披露宴に行ってきました!

良い意味で真面目そうなお二人で、着実に歩みを進めていきそうな印象でした。

幸せそう^^

末永くお幸せに。



私は、ビンゴで亀の子たわしをゲット致しました(笑



(可愛い写真があったので、関係ないのですが挿絵に使わせていただきました。)



さて、頑張らなくちゃ!

posted by whitedaydreams at 18:56| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月21日

練習嫌い

「練習しなきゃ弾けないピアニストなんていらない。」
って。ある先生の言葉。

そのあとに
「練習しない言い訳でもあるけどね。」
って付け加えてたけど。

本当の音楽家は、初見でも上手いんだ。



舞台上で挨拶して。

ピアノの前に座って。

(観客は固唾をのむ。)

かまえて…。

やっと弾き始めるピアニスト。


短距離走をみんなで見守るような感じ。
そりゃ短距離走のような曲もあるかもしれないけれど。

音楽家同士が家に集まって気楽に弾いていたような曲を、
「弾くぞ〜!」とかまえて弾いちゃうと、
コンクールには受かっても、
作品の本質から著しくズレてしまう場合もありそう。

「作品の本質」なんてものは幻想かも知れないけれど、
演奏家はやっぱりその幻想かも知れない本質を目指していて、
その道は、本当の喜びに通じるはず。

演奏家としてのステイタスを獲得することなんかよりも、
ずっと大切なことだと思う。
posted by whitedaydreams at 19:21| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

吊り橋理論

Wikipediaからの引用

吊り橋理論(つりばしりろん)は、カナダの心理学者、ダットンとアロンによって1974年に発表された「生理・認知説の吊り橋実験」によって実証されたとする学説。「恋の吊り橋理論」とも呼ばれる。

生理・認知説は人は生理的に興奮している事で、自分が恋愛しているという事を認識するというもの。実験のみで厳密に立証されている訳ではないが概ね正しいとされている。

実験は、18〜35歳までの独身男性を集め、渓谷に架かる揺れる吊り橋と揺れない橋の2ヶ所で行われた。男性にはそれぞれ橋を渡ってもらい、橋の中央で同じ若い女性が突然アンケートを求め話しかけた。その際「結果などに関心があるなら後日電話を下さい」と電話番号を教えるという事を行った。結果、吊り橋の方の男性からはほとんど電話があったのに対し揺れない橋の方からはわずか一割くらいであったというものである。揺れる橋での緊張感を共有した事が恋愛感情に発展する場合があるという事になる。


割と有名な実験らしい。

心臓のドキドキは内的要因でも外的要因でも一緒。
どうかな、音楽に感動して鳥肌が立ったつもりが、実はほんとに寒かったってこともあるかな。
わざとエアコン強くしたりとか(笑

音楽と情動の関係、ちょっと面白い。
聴衆の情動を動かそうとするときの演奏者の情動は?

いろいろまだわかってないみたいだけれど。
軽くまとめてある本。


情動と音楽 (音楽と心はいかにして出会うのか) 國安愛子

情動と音楽 (音楽と心はいかにして出会うのか) 國安愛子

  • 作者: 國安 愛子
  • 出版社/メーカー: 音楽之友社
  • 発売日: 2007/12/17
  • メディア: 単行本




もうひとつ新しくて詳しい本があるらしいけれど、どの本だか探し中。
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2010年05月16日

演奏だって

西洋芸術音楽において、演奏者は作品に対して一次的には(楽譜を見た時点では)享受者の立場であり、作曲家の創造を追体験する。作曲家の創造に対しては二次的なため追創造?(検討中)

作曲家は、以前にはない新しいものを創造するお仕事。
演奏家は、「新しい」ものを創れば良いわけではない、というのが一般的な認識。

でも演奏だって、まえと同じことをすれば良いわけではない。
過去の音楽を全くその通りに再現することは無理だし、
当時の環境で弾いてほしいだなんて、作曲家は頼んでない。
演奏はずっと変わってきた。
そしていまさら、フルヴェンみたいな演奏は期待されないわけで。
いまの作曲家が、モーツァルトのような作曲をするわけにいかないってことと、そんなに変わらないかも知れない。

聴く方の耳も変化してきたわけだから、その耳が求めるものを弾くか、まったく別のものを提示するか。
これからの演奏はどうなるんだろう。
posted by whitedaydreams at 13:17| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月13日

自戒をこめて

演奏家は個々の立場を守ろうとしているのかも知れない。
潜在意識の自己防御。
自分の存在価値を守るために、過剰に分析されることを嫌がる。
霊的な存在を頼りにする。

霊的な存在など、演奏に言語化不可能な要素があるとしても、
その実に迫ることは意味のあることのはずなのに、
「音楽は言葉では表現できないことを語るもの」というヴェールに包もうとする。

もしかしたら日本人にその傾向が強いのかも?
わからないけれど。


奇妙なことに多くの人々が、音の芸術が問題であるのに、音楽を語るために、方法や技術の多少なりと抽象的な概念を練り上げることは、音楽冒涜の罪になると考えているのです。それは音楽の誤った考え方によるのでしょう。作曲家や演奏家の技巧を超えて、音楽が魂や感情に訴えかけるのは確かです。しかしわたしは、どうして音楽を感じかつ愛することが、音楽を理解しようとするのを禁じることになるのか分かりません。


音楽・研究・人生―音楽と言語をめぐる仮想対話

音楽・研究・人生―音楽と言語をめぐる仮想対話

  • 作者: ジャン=ジャック ナティエ
  • 出版社/メーカー: 春秋社
  • 発売日: 2005/03/01
  • メディア: 単行本




posted by whitedaydreams at 20:14| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月10日

学際的研究

最近この言葉を良く見るけれど、
まだまだ環境が追いついていない気がする。
面白いこといろいろありそうなのに。

分化して、くっついて…の繰り返し。
posted by whitedaydreams at 22:47| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月08日

チャンネル

ひとつ前の記事でも使ったけれど、「チャンネル」という言葉が気になっている。
グループ即興のときにしきりに聞いた言葉だけれど、きょうは楽譜のある演奏者も使ってた。
作曲家に対してチャンネルを開く。

ビビビ…を受け取れるようにしておくこと。

「チャンネルを開く」と「空気を読む」は若干違う。
上手く説明できないけれど…

空気は読まなくてもチャンネルは開いていたい。
posted by whitedaydreams at 01:16| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月06日

即興演奏ソルフェ

ちょっと行ってみた。
履修してないから遠慮してたんだけど、結局好奇心に負け…(笑
参加してみたら、楽しかった!
笑いを堪えられなかった(笑
って、そんな大したことはしてなくて、音遊びのようなものをしただけなんだけど。

制限を加えるから出来ないことと、制限を加えるからこそ出来ること。
どちらもあることを感じた。

パルスがないと、出来損ないの現代音楽みたいになるんだなー。
パルスがない即興って、とっても難しいんだと思う。

クラシックを知らない人のジャズもいいけれど、すでに知っている以上捨てる必要ないからクラシックの感覚もフル動員で。

なんらかの呼びかけがあって、返答があって。
動き出したいときは動き出して、だんだん皆で動いていくエネルギー。


チャンネルを開こう。
posted by whitedaydreams at 22:17| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月01日

一番近くにいる聴き手

聴き手がいないと「演奏表現」とは言えないのかもしれない、と思った。

一番近くの聴き手は誰だろう?


あるとき…
それはひとりでもいればいいんだって思った。

あるとき…
それは共演者だって気付いた。


そしてあるとき…

それは自分だって気付いたんだ。



コミュニケーションの相手は他にもいるかも知れない。
人間じゃないかも知れないし、世界かも知れない。
ときどきそんな不思議な感覚に襲われる。


自然の調和。身体の調和。
作曲家からのテレパシー。
いろんなものとのコミュニケーション。
posted by whitedaydreams at 23:39| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

演奏法はひとつじゃない

いっぱい書きたいことがあるのだけど、なかなか書けない…
今日は疲れているから少しだけ。

みんな「自分の弾き方(主にテクニック)」というものを持っていてそれは悪いことじゃないと思うんだ。
けれど、色んな曲に対して一辺倒に同じテクニックを使う必要はない。

時代によっても作曲家によっても違う。
弾き方自体は変化しただけで良くなったとは限らない。
逆に、その時代の弾き方をすれば良いか?というとそういうわけでもない。
楽器が変わったわけだから、無理すると身体を壊しちゃう場合もあるしね。

大事なのは、その作品に対して一番自分の合った弾き方を探すこと。

わかってる人はいると思う。
ただ、実際「自分の弾き方」はひとつの方が楽だから、感覚的には、ひとつにまとめる方向に働いちゃうと思う。
そこを理性で引き止めることが重要な気がする。


ギド・マン試作品をちょっと使ってみて思いました。
「昔の器具じゃん、はは。」って笑い飛ばせない力を感じた。
posted by whitedaydreams at 01:24| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月25日

教育的価値と芸術的価値

芸術的価値が低いものは、教育的価値も低くなる?
単に指訓練のための機械的な課題でも、芸術的価値が低いと教育的価値も低くなるかもしれない。
とりわけ目的意識を持たない発達過程の子どもに対し「おもしろくない」というイメージを与えることはよくないかな。


芸術的価値が低くても、教育的価値が高い作品の存在は?
音楽的要素のひとつを取り出して、それを訓練することに特化した作品かなー。でも、それが芸術的価値が低いのかはわからなくて、それでも芸術的価値はなくてはならないような気もする。自分で書いておいて芸術的価値というのが何を意味してるのかよくわからないけれど、弾いて素敵だと思う要素がある方が良さそう。


芸術的価値が高くても、教育的価値の低い作品は?
うーん、弾き難い曲とかかしら?
最終的目標が見えづらい作品。


教育的価値が高いと芸術的価値も高いのか?
そうとも言えないけれどそういうことが多そう。
「ソルフェージュのためのソルフェージュ」のなかにも素敵な作品があって、やっぱり教師は芸術的価値の高いものをつかうんだよね。


と、まぁ、また頭を整理してからまとめよう。
posted by whitedaydreams at 14:56| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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