2010年08月03日

初見

「どうしたら初見が出来るのか?」
ってよくきかれる。

まぁ、その方法を知りたければ、「初見」ってググったり、自分の気に入っている演奏家の本でも読めばイイと思う。
なんかいろいろ言われるけど、本気で自分が望めば望む分だけ、できるようになると思ってる。
そもそも初見ができなきゃいけないわけでもないし、マジシャンみたいに弾けたって、ピアノ・マジシャンにしか、なれない。
初見の能力を鍛えることで、自分が何がしたいのか、考えよう。

最近は、初見の試験以外で、人前で初見で弾く機会なんてまずない。
演奏する予定だった演奏家が急にキャンセルになって、代わりが自分しかいない場合でもなければ。

ただ、仕事で必要になるときはたまにあるかな。
わけもわからず初見でいっぱい曲を弾かされて、必死で弾いてたら、
「初見でこれくらい弾ければ大丈夫だ。」
と仕事を任されたことはある。

わりと、フランスで学んだ人に、初見能力を重視する人が多いかな。
でも、初見ができないからって、演奏が悪いわけじゃないのは忘れちゃいけない。

ただ、私がなぜ初見がしたいかっていうと、
「わくわく感」を味わいたいからかも知れない。
新しい本を開くときのわくわく感。
「さぁ、これからなにが始まるんだろう?」といった。
いっぱい本を開きたいし、楽譜も開きたい。

はじめの出会いは大切。
だから、いきなり弾き始めないようにしようと心がけてる。
ちょっと全体を眺めてから。
そこで、自分と作品との出会いが始まるから。

私は、たくさんの作品と出会いたい。

「初見が好きな人は読譜が甘い」なんて意見をたまにきくけど、初見するから甘いわけじゃないと思う。
本当に初見ができる人で、本当に素晴らしい演奏家がいるわけだから。
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2010年07月28日

本能

中学のとき、中学で流行ってたような自己紹介カードの「趣味」って欄に「ピアノをじゃらじゃら弾くこと」って書いてた友だちがいた。
私とおなじピアノの先生に習ってた子だったんだけど。
面白いな、と思った。

じゃらじゃら。

よくわかるようで、不思議な表現だった。

「すべての音に意味がある。」
という人がいる。

「どの音も生きてる、殺しちゃダメ。」
ってピアノの先生に言われたことが今でも私の演奏に生きてると思ってる。

作曲するときは無駄な音は書かないようにする。

ただし!

たまには何にも考えずに手の動くままに鍵盤を走り回りたいときもあったりする。
「即興」と呼ぶかは別にして、本能で鍵盤を動き回るような作品はあると思う。
弾きやすいパッセージを繰り返して、縦横無尽に動き回る。

なにも考えずに鍵盤を走り回ると言っても、どうしても、自分の手の大きさ、それからいつも弾いてるジャンルの指の動きの影響を受ける。
それは、身体に直結してるのは間違いない。
もしも、あるジャンルの語法がしっかり身体に染み付いた人は、本能でそのジャンルの動きができるんじゃないか。

ピアノの語法、各ジャンルの語法。

仮に意識下にない動きだとしても、
機械的な動きと本能的な動きに線を引くのは難しいと思う最近。

演奏者は何を訓練してるのであろうか。
posted by whitedaydreams at 22:17| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月17日

「音が綺麗」と言われたとき

20世紀以降の音楽をたくさん弾いている、あるピアニストが「綺麗な音で弾けばどんな曲だって綺麗なんですよ」って言ったらしい。
もちろん、綺麗じゃない音楽があったって一向に構わないわけだけど、この言葉は、演奏者の存在意義みたいなものを考えさせてくれる。
20世紀以降に調性崩壊した頃の作品の構造が、直接、聴き手に不快さを与えるわけじゃない。
聴き手は、あくまで演奏者の音を聴く。

個人個人の持つ「音色」は一つの個性。
たった一つの音を聴いただけで感動させられたこともある。
こんな素晴らしい音色を持つ人がいるのなら私がどれだけ練習したって敵わないんじゃないか、と思ったことさえある。

〜・〜・〜・〜・〜・

私は、大学1年のときに音の出し方をガラッと変えた時期がある。
これはヴィオラの先生の影響。
たまたま同じ時期に知り合いのピアノの先生からアドバイスを受けていて、身体の使い方から考え直してたときだった。

ヴィオラを邪魔しない音っていうのは、ただ小さい音じゃない。
音量は大きくても邪魔しない音質を出すピアニストがいる。
邪魔する音を出してしまった場合、ピアノじゃない楽器の人には、ただ「うるさい」で片付けられてしまうことも多いんだけど、ほんとは音量じゃなくて音質の違い。
尊敬するヴィオラの先生はその点も根気づよく説明してくれて、しばらく経ったあと「変わったわね」ってちゃんと認めていただいた。

いくら色んな音色が出したいと思ったところで、それをイメージし欲しないと音色は作れない。
欲してイメージが固まっても、身体の使い方を変えないと音色は変えられない。

難しいことだけれども楽しい作業。
これからもずっと色んな音色を作っていきたい。


「音が綺麗」というのは常套句じゃないか、と感じたこともある。
どんな曲弾いてたって「音が綺麗」といえば褒め言葉になるから。

でも、他の楽器の人に言われると嬉しいのは、そんな理由から。
やっぱりピアノの音が好きだから、他の楽器の人にも認めて欲しいんだ。
そして、一色じゃなく多彩な音色を出せる様に。
posted by whitedaydreams at 23:19| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月02日

音色

歌手は色んな表情をして歌を歌う。
笑顔だと本当に笑ってるような声になるし、怒りの表情だと本当に怒ってるような声になる。
CDの音だけで聴いていてもそれはわかる。
伝わる度合いは生演奏と幾分劣るかも知れないけれど。
演奏会の場で目で見ることのできる表情は、CDとなった音にも表れていると思う。

声楽はもっとも身体と結びついている音楽だし、大抵の人はすこしは歌を歌うから、理解しやすいことだと思う。
笑顔だと口角があがり自然と声色が明るくなる。
深い声を出そうとするときは、おなかの下の方を下げるような感じかしら。

じゃあ、ピアノを弾くときの音色は?

笑って弾くとやっぱり変わると思う。
それは、ただのイメージだけじゃなくて、使う筋肉が変わるから。
「笑う」だけだとわかりにくいけど…
例えば、歌で高い声を出すときには、歌の先生に、天に突き抜けるようなイメージを持つように言われたことがある。
声楽の細かいところはわからないけれど、声を当てる場所を変えるとき、自然と身体が上に行くのがわかる。
つまり、身体全体が高い声を出す体勢になる。
全身がその「高い」位置になってはじめて、ほんとの高い声が出る。

これは、ピアノの場合でも同じ。
声は出さないけれど、身体を、声楽と同じ様に「高い」状態に持っていかないと、天上から聴こえてくるような音色は出せない。
ピアノって、音色を変えるの難しい。
身体全体で音色を求めてやっと、求めた音色に少し近づく。

ピアニストの映像を眺めていると、同じピアニストでも、若いときは無駄じゃないかと思うほど表情豊かに動いていたのが、年を取ると落ち着いた動きになる人が多いのがわかる。
それは単に身体が衰えたわけじゃない。
若いときは、明るい部分では「笑う」、悲しい部分では「悲しむ」。身体全体を、その表情の状態に持っていくために、精一杯身体を動かして、音色をつくる。
そんな若いピアニストは、年を取るにつれて、顔で笑わなくても身体で笑うことができるようになる。
全体で動かなくても、どこを動かせば良いのか、長年の経験で身に付いているから。

ピアノの場合、音色を変えるのに動かしているのは、上半身すべてだったりする。
拡げたり縮めたり、上に持っていったり下に下げたり。
筋肉のどこを動かしてるのかはわからないけれど、確かにその感覚はある。
科学的には証明し難い微妙な動きだと思うけれど。
(誰か研究してる人いるかな?)続きを読む
posted by whitedaydreams at 21:45| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月19日

音楽は目標か手段か

音楽とは何か?芸術とは何か?


突き詰めると、精神とは何か?世界とは何か?
…まで発展するかも知れない。

音楽を芸術と考え、哲学的な課題の答えを求める人たち。
とにかく演奏をして音楽に向き合う人、様々な方面から研究をしている人、作曲する人、聴く人。
それらを組み合わせて考える人。

ある程度まで極めた人にしかわからないものなのであろうか。
私はそんなものではないと思う。
(結構いるんだ、自分以下を切り捨てる人…、音楽に対して真摯に向き合う人というのは、どこにだっていること、忘れちゃいけない。)
様々な人が色々な立場から、おなじ目標に到達する道の、ある方面のある段階から眺めている。
世界に名の知られた音楽家も、まだその道に志して日のないアマチュア演奏家も、様々な人が同じ高い山の色々な場所にいる。たとえ、山のふもと近くにいても、その傾斜角度とかから、山の頂上を推測することはできる、というようなイメージを持っている。
頂点というものがない以上、皆その道の途中にいる仲間だから。

そのように音楽自体を目標として、それは何か、突き詰めようとする人たちの仲間。


その一方で、音楽は手段ともなり得る。
学校教育では、協調性を高める手段、人間性を高める手段。
その場においては、音楽家が目標としているような音楽の芸術性は求められない。
むしろそれが邪魔になる場合さえある。
(小学校の音楽の先生には、私がピアノを専門的に学習してることは必ずしも良い様に受け止められていなかった。「みんなで楽しく歌おう!」という場で、未熟ながらも「音楽的価値」なんかを判断してしまうこどもがいることは、ハッキリ言って邪魔だったんだと思う。)

音楽がただの手段などと言ったら、音楽はそんなものじゃないと嫌がる人がいる。
協調性を目的とした音楽は、音楽的価値としては中途半端な音楽になる。
歌う人たちが気持ちよくて心がひとつになっていれば、すごい演奏になるだろうか?
そんなに甘くはない。
でも本人たちにとってはそうかも知れない。



手段としての音楽も、目標とされた崇高な(?)音楽も、繋がる部分はあるんだと思う。
芸術性を突き詰めた音楽は、それ自体が、作曲する人や演奏する人の価値観、人間性、世界観を映し出す。

そして、音楽自体はただの仲良しごっこであっても、人間性に作用する音楽。
涙の出る音楽。


程度の違いであって種類の違いではないかも。
あえてそこを繋いで考えることで、なにか見えることがある気がする。
posted by whitedaydreams at 22:05| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

わけたりくっつけたり

わけることで理解し、くっつけることでまた理解する。
その繰り返し。
2歩進んで3歩下がる。


…あれ、違う。。
反対だった。
posted by whitedaydreams at 01:06| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月09日

なにも書かれていない真っ白の五線譜に向かう。
楽譜の置かれていないピアノ。


なんでもできる。
でも何の手がかりもない。

どこからか引っ張ってくる。

そのときに、自分のできることは何か?
得意なことは何か? …考える。

些細なところから一歩一歩。

どの指の動きが得意か、どんな表現のテクニックを持っているか?
ピアノという楽器は何ができるのか?
和声はどうするか?
そもそも和声を使わないか?
リズムって何なのか?
速いってどういうことなのか?


まず、どの音から弾き始めるのか?


たくさんの曲を知っていることで、逆に、
大事なことに鈍感になっていく面もあると思う。
ひとつの音の美しさに、気付けなくなっていく。

どんなにいろんなことを知っていても、
真っ白の紙を前にすると、さてどうしようか?と考えるはず。

枠があるからできるだけ。
そんな人にはなりたくない。

無の状態になる時間、大切にしたい。
posted by whitedaydreams at 21:20| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月03日

ちょっとしたストレス

新全集のベーレンライター版って綺麗。
金色が入ってたりして。
新しいマークのシロクマくん(?)可愛いし。
ミニチュアスコアとかコンパクトで、まぁ信用できるから、よく見ます。

ただし、リダクション版は別。
編曲の質が悪い。
悪い意味で忠実。
すごくこだわってるけれど、こだわるとこ間違っていると思う。

モーツァルトのヴァイオリン協奏曲のリダクション版でだいぶ痛い目に遭ってる…。

まず、そのまま弾くと音が薄すぎる。
そのくせ音域とか妙に原曲通りで弾き難い。
弾き難くても、その効果は薄い。
ピアノの楽器の特長や、いまのピアニストが楽譜を見てどう思うか、全然考慮してない。

オーケストラのスコアと見比べたり音源聴いたりはするけれど、たまには初見で合わせたり、時間がなかったりすることもある。
そのときにベーレンライター版は、オケスコ想像できない。

弾けない音であっても余すことなく書いてくれているような楽譜なら適当に省略できるんだけど、大事なところ省いてあるとどうにもならない。
強弱やスラーなどを、そのまま写したからって正解じゃないことも、よくわかる。

協奏曲しか見たことなかったけれど、オペラもあまりよくないらしい…。
編曲としてはペータース版の方がずっと良い。

権威のある版だからって安易に信用せずに、ちゃんと比べることが必要ということかな。
それから、当時の楽器の特長や慣習と現代のそれをちゃんと研究したような楽譜があればいいのにな、と思う。
勝手だけど、クレッシェンドの位置が何ミリずれてるとかではなく(それも無駄じゃないかも知れないけれど)、慣習などの研究が注釈に書いてあったらすごく嬉しいと思う。


と、まぁ、短期間で弾かなきゃいけないための愚痴でした。
posted by whitedaydreams at 22:40| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月28日

もやもや

色んなもの、ざーっと読みすぎて、混乱してるみたい。
まとまってないと、なんにも喋れない。

心理学だの認知科学だの記号学だの美学だの、関連あるところだけ引っ張ってきて、大枠を把握しようと思ったけれど…。
当然ながら、どの分野だって一つ一つ築き上げてきたものがある。
ロジックのように上手くパズルをはめるのは簡単じゃないや。
もともとの知識もないし…。

でも、そこを分け入って無理やり進んでいくと何か見える気がする。
精読しなきゃ。

一般向けに書かれた書籍って有り難い。


メモ:
大演奏家なら許されるけれど、一般の人には許されない演奏ってのが、たぶんある。
「アルゲリッチなら許されるんだけど。」とかピアノの先生に言われたことある。
自らの立ち位置をハッキリさせることが演奏家に求められてるのかな。
学習者の立場では、してはいけない演奏というのがあるとしたら。

アカデミズムの影響からか、教育的な演奏に傾いてきている気もするし…。

日本人にはタブーの演奏みたいなのもあるのかなー。
posted by whitedaydreams at 18:53| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月23日

Happy Wedding☆







Amigurumi Turtles


Originally uploaded by Pepika


友だちが結婚しまして、披露宴に行ってきました!

良い意味で真面目そうなお二人で、着実に歩みを進めていきそうな印象でした。

幸せそう^^

末永くお幸せに。



私は、ビンゴで亀の子たわしをゲット致しました(笑



(可愛い写真があったので、関係ないのですが挿絵に使わせていただきました。)



さて、頑張らなくちゃ!

posted by whitedaydreams at 18:56| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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