2010年05月21日

練習嫌い

「練習しなきゃ弾けないピアニストなんていらない。」
って。ある先生の言葉。

そのあとに
「練習しない言い訳でもあるけどね。」
って付け加えてたけど。

本当の音楽家は、初見でも上手いんだ。



舞台上で挨拶して。

ピアノの前に座って。

(観客は固唾をのむ。)

かまえて…。

やっと弾き始めるピアニスト。


短距離走をみんなで見守るような感じ。
そりゃ短距離走のような曲もあるかもしれないけれど。

音楽家同士が家に集まって気楽に弾いていたような曲を、
「弾くぞ〜!」とかまえて弾いちゃうと、
コンクールには受かっても、
作品の本質から著しくズレてしまう場合もありそう。

「作品の本質」なんてものは幻想かも知れないけれど、
演奏家はやっぱりその幻想かも知れない本質を目指していて、
その道は、本当の喜びに通じるはず。

演奏家としてのステイタスを獲得することなんかよりも、
ずっと大切なことだと思う。
posted by whitedaydreams at 19:21| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

吊り橋理論

Wikipediaからの引用

吊り橋理論(つりばしりろん)は、カナダの心理学者、ダットンとアロンによって1974年に発表された「生理・認知説の吊り橋実験」によって実証されたとする学説。「恋の吊り橋理論」とも呼ばれる。

生理・認知説は人は生理的に興奮している事で、自分が恋愛しているという事を認識するというもの。実験のみで厳密に立証されている訳ではないが概ね正しいとされている。

実験は、18〜35歳までの独身男性を集め、渓谷に架かる揺れる吊り橋と揺れない橋の2ヶ所で行われた。男性にはそれぞれ橋を渡ってもらい、橋の中央で同じ若い女性が突然アンケートを求め話しかけた。その際「結果などに関心があるなら後日電話を下さい」と電話番号を教えるという事を行った。結果、吊り橋の方の男性からはほとんど電話があったのに対し揺れない橋の方からはわずか一割くらいであったというものである。揺れる橋での緊張感を共有した事が恋愛感情に発展する場合があるという事になる。


割と有名な実験らしい。

心臓のドキドキは内的要因でも外的要因でも一緒。
どうかな、音楽に感動して鳥肌が立ったつもりが、実はほんとに寒かったってこともあるかな。
わざとエアコン強くしたりとか(笑

音楽と情動の関係、ちょっと面白い。
聴衆の情動を動かそうとするときの演奏者の情動は?

いろいろまだわかってないみたいだけれど。
軽くまとめてある本。


情動と音楽 (音楽と心はいかにして出会うのか) 國安愛子

情動と音楽 (音楽と心はいかにして出会うのか) 國安愛子

  • 作者: 國安 愛子
  • 出版社/メーカー: 音楽之友社
  • 発売日: 2007/12/17
  • メディア: 単行本




もうひとつ新しくて詳しい本があるらしいけれど、どの本だか探し中。
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2010年05月16日

演奏だって

西洋芸術音楽において、演奏者は作品に対して一次的には(楽譜を見た時点では)享受者の立場であり、作曲家の創造を追体験する。作曲家の創造に対しては二次的なため追創造?(検討中)

作曲家は、以前にはない新しいものを創造するお仕事。
演奏家は、「新しい」ものを創れば良いわけではない、というのが一般的な認識。

でも演奏だって、まえと同じことをすれば良いわけではない。
過去の音楽を全くその通りに再現することは無理だし、
当時の環境で弾いてほしいだなんて、作曲家は頼んでない。
演奏はずっと変わってきた。
そしていまさら、フルヴェンみたいな演奏は期待されないわけで。
いまの作曲家が、モーツァルトのような作曲をするわけにいかないってことと、そんなに変わらないかも知れない。

聴く方の耳も変化してきたわけだから、その耳が求めるものを弾くか、まったく別のものを提示するか。
これからの演奏はどうなるんだろう。
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2010年05月13日

自戒をこめて

演奏家は個々の立場を守ろうとしているのかも知れない。
潜在意識の自己防御。
自分の存在価値を守るために、過剰に分析されることを嫌がる。
霊的な存在を頼りにする。

霊的な存在など、演奏に言語化不可能な要素があるとしても、
その実に迫ることは意味のあることのはずなのに、
「音楽は言葉では表現できないことを語るもの」というヴェールに包もうとする。

もしかしたら日本人にその傾向が強いのかも?
わからないけれど。


奇妙なことに多くの人々が、音の芸術が問題であるのに、音楽を語るために、方法や技術の多少なりと抽象的な概念を練り上げることは、音楽冒涜の罪になると考えているのです。それは音楽の誤った考え方によるのでしょう。作曲家や演奏家の技巧を超えて、音楽が魂や感情に訴えかけるのは確かです。しかしわたしは、どうして音楽を感じかつ愛することが、音楽を理解しようとするのを禁じることになるのか分かりません。


音楽・研究・人生―音楽と言語をめぐる仮想対話

音楽・研究・人生―音楽と言語をめぐる仮想対話

  • 作者: ジャン=ジャック ナティエ
  • 出版社/メーカー: 春秋社
  • 発売日: 2005/03/01
  • メディア: 単行本




posted by whitedaydreams at 20:14| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月10日

学際的研究

最近この言葉を良く見るけれど、
まだまだ環境が追いついていない気がする。
面白いこといろいろありそうなのに。

分化して、くっついて…の繰り返し。
posted by whitedaydreams at 22:47| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月08日

チャンネル

ひとつ前の記事でも使ったけれど、「チャンネル」という言葉が気になっている。
グループ即興のときにしきりに聞いた言葉だけれど、きょうは楽譜のある演奏者も使ってた。
作曲家に対してチャンネルを開く。

ビビビ…を受け取れるようにしておくこと。

「チャンネルを開く」と「空気を読む」は若干違う。
上手く説明できないけれど…

空気は読まなくてもチャンネルは開いていたい。
posted by whitedaydreams at 01:16| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月06日

即興演奏ソルフェ

ちょっと行ってみた。
履修してないから遠慮してたんだけど、結局好奇心に負け…(笑
参加してみたら、楽しかった!
笑いを堪えられなかった(笑
って、そんな大したことはしてなくて、音遊びのようなものをしただけなんだけど。

制限を加えるから出来ないことと、制限を加えるからこそ出来ること。
どちらもあることを感じた。

パルスがないと、出来損ないの現代音楽みたいになるんだなー。
パルスがない即興って、とっても難しいんだと思う。

クラシックを知らない人のジャズもいいけれど、すでに知っている以上捨てる必要ないからクラシックの感覚もフル動員で。

なんらかの呼びかけがあって、返答があって。
動き出したいときは動き出して、だんだん皆で動いていくエネルギー。


チャンネルを開こう。
posted by whitedaydreams at 22:17| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月01日

一番近くにいる聴き手

聴き手がいないと「演奏表現」とは言えないのかもしれない、と思った。

一番近くの聴き手は誰だろう?


あるとき…
それはひとりでもいればいいんだって思った。

あるとき…
それは共演者だって気付いた。


そしてあるとき…

それは自分だって気付いたんだ。



コミュニケーションの相手は他にもいるかも知れない。
人間じゃないかも知れないし、世界かも知れない。
ときどきそんな不思議な感覚に襲われる。


自然の調和。身体の調和。
作曲家からのテレパシー。
いろんなものとのコミュニケーション。
posted by whitedaydreams at 23:39| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

演奏法はひとつじゃない

いっぱい書きたいことがあるのだけど、なかなか書けない…
今日は疲れているから少しだけ。

みんな「自分の弾き方(主にテクニック)」というものを持っていてそれは悪いことじゃないと思うんだ。
けれど、色んな曲に対して一辺倒に同じテクニックを使う必要はない。

時代によっても作曲家によっても違う。
弾き方自体は変化しただけで良くなったとは限らない。
逆に、その時代の弾き方をすれば良いか?というとそういうわけでもない。
楽器が変わったわけだから、無理すると身体を壊しちゃう場合もあるしね。

大事なのは、その作品に対して一番自分の合った弾き方を探すこと。

わかってる人はいると思う。
ただ、実際「自分の弾き方」はひとつの方が楽だから、感覚的には、ひとつにまとめる方向に働いちゃうと思う。
そこを理性で引き止めることが重要な気がする。


ギド・マン試作品をちょっと使ってみて思いました。
「昔の器具じゃん、はは。」って笑い飛ばせない力を感じた。
posted by whitedaydreams at 01:24| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月25日

教育的価値と芸術的価値

芸術的価値が低いものは、教育的価値も低くなる?
単に指訓練のための機械的な課題でも、芸術的価値が低いと教育的価値も低くなるかもしれない。
とりわけ目的意識を持たない発達過程の子どもに対し「おもしろくない」というイメージを与えることはよくないかな。


芸術的価値が低くても、教育的価値が高い作品の存在は?
音楽的要素のひとつを取り出して、それを訓練することに特化した作品かなー。でも、それが芸術的価値が低いのかはわからなくて、それでも芸術的価値はなくてはならないような気もする。自分で書いておいて芸術的価値というのが何を意味してるのかよくわからないけれど、弾いて素敵だと思う要素がある方が良さそう。


芸術的価値が高くても、教育的価値の低い作品は?
うーん、弾き難い曲とかかしら?
最終的目標が見えづらい作品。


教育的価値が高いと芸術的価値も高いのか?
そうとも言えないけれどそういうことが多そう。
「ソルフェージュのためのソルフェージュ」のなかにも素敵な作品があって、やっぱり教師は芸術的価値の高いものをつかうんだよね。


と、まぁ、また頭を整理してからまとめよう。
posted by whitedaydreams at 14:56| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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